遠山郷土館

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遠山郷土館 和田城

遠山郷土館[MAP]は長野県飯田市南信州和田にある郷土資料館。和田城跡に建てられている。中世から江戸時代初期にかけて江儀遠山荘を支配していた信州遠山氏と遠山郷の歴史文化を紹介する公共施設である。

美濃遠山氏からの系譜は明らかになっていないが、飯田方面とのつながりを持っていた苗木遠山氏からの分家ではないかと言われている。

年表

1186年 (文治2年/鎌倉) 遠山地方は鎌倉幕府、地頭職北条時政の荘園となる。
1214年 (建保2年/鎌倉) 美濃岩村の地頭景朝の分流、江儀遠山庄の荘官として遠山氏の先祖が存住したと考えられる。長山城構築。
1329年 1329年 (元徳元年) 鎌倉幕府の諏訪上宮、五月会御頭役決審の下知状に遠山氏加わる。
1400年 (応永7年) 大塔合戦に遠山氏参加。
1469年 (文明元年/室町) 遠山氏の始祖、加藤次景廉の子孫新九郎政志の娘、遠州日奈地家に嫁ぐ。
1544年 (天文13年/戦国) 遠山氏、大河原、鹿塩を開拓する。
1553年 (天文22年/戦国) 遠山氏武田信玄に協力約す。和田城を築城する。
1572年 (元亀3年/安土桃山) 遠山氏、武田勢の信濃先方衆として徳川勢と戦う。奥山氏久頭合城などを陥落す。
1575年 (天正3年/安土桃山) 遠山和泉守、三河長篠の戦につづく美濃岩村城の戦に参加し討死する。
1578年 (天正6年/安土桃山) 武田勝頼に遠山郷造営の役課せられる。
1581年 (天正9年/安土桃山) 青崩以南の占領地を召し上げられる。
1582年 (天正10年/安土桃山) 遠山氏高遠城の戦に出陣。遠山景俊、遠山刑部、遠山弥蔵、被官知久霜助、佐藤、後藤、近藤ら討死す。
1584年 (天正12年/安土桃山) 遠山氏の領地安堵をえる。
1585年 (天正13年/安土桃山) 上田城攻略の徳川家康のため遠山景直出陣
1589年 (天正17年/安土桃山) 遠山氏諏訪上社に茶三斤を献上。
1591年 (天正19年/安土桃山) 遠山地方第一回検地行われる。石高一〇八〇石三斗六升六合と決められる。
1569年 (永禄12年/安土桃山) 遠山土佐守景直、徳川家康と謁見し遠山六ヶ村ほか飯米料として赤穂、箕輪、福島などあわせて三〇〇〇石を加増される。
1601年 (慶長6年/安土桃山) 遠山を含め伊那地方の木材奉行として朝日受永が赴任す。
1616年 (元和2年/江戸初期) 遠山氏、徳川家康の命により、大阪冬の陣に出陣する。
1615年 (元和元年/江戸初期) 遠山土佐守景直病死。
1616年 (元和2年/江戸初期) 駿府普請のため御役樽木五万八八一四挺を毎年搬出したび重なる出陣に領民苦しみ一気におよぶ。
1617年 (元和3年/江戸初期) 遠山土佐守景重死亡。
1616年 (元和2年/江戸初期) 百姓一揆の首謀者、折立長老の墓、折立に建立される。遠山氏領地、御料所 (天領) となる。千村平右衛門良重の預所となる。代官中山吉左衛門年貢上納の為肝煎、長百姓を人質とす。
1619年 (元和5年/江戸初期) 年貢先納事件起こる。
1622年 (元和8年/江戸初期) 遠山新助景道、大河原で「石子詰」となる。
1623年 (元和9年/江戸初期) 宮崎半兵衛預所となる。
1624年 (寛永元年/江戸初期) 各村に高札場が設置される。
1635年 (寛永12年/江戸初期) 遠山長九郎景盛、遠州浦川にて病死。
資料撮影 2009/08 [1][2]

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