整田碑 (宮田)

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宮田の整田碑[MAP]は宮田の三叉路近くに建てられている石碑。昭和40年代後半から50年代前半にかけて行われた宮田の農業構造改善事業の碑である。

宮田整田碑

昭和五十四年
整田碑 中津川市長 小池 保

当地区は通称宮田田圃と云はれ山間地としては比較的平坦であり旦肥沃な水田として古くから知られていたがその区画は不整形にして狭隘であり道路もなく各々の所有地もまた離散しておりこれの耕作にはきわめて不便なものであつた

そのため圃場整備についてはその志向は強く過去幾度か人々の言の葉に上つていたが昭和四十七年に至り地区内の意志漸く纏り地区内に出作のある見沢部落の参道を得翌年昭和四十八年四月阿木北部土地改良組合を結成団体営圃場整備の事業認可を受け中津川市営事業として昭和四十九年度より同五十二年度まで四ヶ年に亘り事業の完成を見るに至つた

その間阿木川ダム建設事業が具体化するに当り宮田地区においても字天神平の水田が水没ダム建設による迂回道路の敷地阿木川の護岸用地等買収が進められ被買収者の救済圃場整備事業による受益者負担金の軽減などを考慮し共同減歩によつて買収地を補填し買収土地代金は受益者負担に充当することに合意が成立した

従前この地区に 見沢 黒柿 子ギタ マンジ 杉本 宮田 子造田 井田と多くの歴史を持つ字があつたが圃場整備事業と共に見沢宮田マンジの字に統合した

こゝに事業の完成を見るに当り中津川市当局を始め関係機関のご助力と組合員各位のご理解を謝して止まない

圃場整備面積 一三・二ヘクタール
事業費 九六・一八四千圓

資料撮影 09/02/21 [1][2]
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