遠山来由記/霧城記

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僧 隆峯

美濃国岩村霧ヶ城は国の極東にあり。その南辺は信州・三河の地境に接している。水晶山を襟に、裏の山を裾とせり。登れば則ち行程二里余り[1]、営累山嶺に連なりて仰ぐにこれ崔嵬たり。城楼天に架かぬるが如く門陴雲を穿つに似たり。渓流は自然の堀を成し、長い坂は険しく高観は梯子して登るがごとし。およそ壮士に鋭気ありといえども直ちによじ登り難し。旋風が舞い埃塵を払い、山色は物寂しくとし鳥が啼き猿が叫ぶ。その騒がしさを避け聞きし愛でる、これを心に得て楽しむ者に至ってはまた仙客をも棲しむ。峰は秀で樹群がり穢れを潤す。土肥えて井泉あふれ、たとえ百日の炎早といえどもかつて水が涸れることなし。思うにこの山の霊験であろう。

山頂の傍らに八幡神祠あり。高閣の軒は天に垂し高木のこずえは空を凌ぐ。相隣の北に望む楼を構えている。特に屹然と根の上に立ちてここに目を欲しいままにすれば則ち千山疊々たり。その顕わなるものは恵那 (美濃)、猿飛 (三河)、駒ヶ嶽 (信州)、乗鞍ヶ嶽 (飛騨)、白山 (加賀)、伊吹山 (近江) それぞれ目前にあたる。朝雲夕霧気象萬千、これ則ち霧城の大観である。昔の人はこれを営備れり

武並の森飯挾間の林は城邑に近く草が生い茂る。遠く囲みめぐるものは香生(カヲレ)嶽、阿岐の嶺なり。山丘に相て畑を興し渓谷に望んで田を辟らく。

また観るべきものは秋の時の紅葉、諸峯の林の巒の騒がしさに懸け錦を曝す。また傷むべきものは冬日の強い寒さ、飛ぶ雪、面つ撲ち、激しい風が肌を裂く。春は花が遅く夏は大いに涼しきもの。これはこの地の気候である。

至って麓にまで郭の内外、士館商四、それぞれ地勢し抱て高低接し列す。人類斎かられども自ら異気を稟て、もって生育するものなり。一方の孤城、孤にあらず、声称仮邇布けり。霧城の名実まことにこれあり。これによって記す。

○霧城記      僧 隆峯

美濃州嵒村霧城也在州之東極縣之南邊地
疆接信参襟晶嶺而裳裏山登則行程二里餘 ※1
營壘連山巓仰之崔嵬城樓如架天門陴似穿
雲澗溪㴱𨗉成自然隍壍長坂嵯峨猶高觀梯
登凡壯士有鋭氣而難直攀焉旋嵐回暉拂埃
塵山色蕭條鳥啼猿叫其至避閙愛間得之心
而樂者亦冝棲仙客也峰秀藂樹潤黷土肥井
泉盈溢縦惟百日炎早水不甞涸者想夫斯山
之靈也歟頂傍有八幡神祠高閣簷埀天喬木
杪凌空相隣北構望樓屹然特立根上縱目乎
此則千山疊疊焉其顯者恵那美州猿投参州駒嶽
信州乘鞍崋飛州白山加州伊吹峯近州各宛尓目前朝
雲夕霧氣象萬千此則霧城之大觀也昔人之
營備矣武並森飯狹間林近城邑而蔚茂遠圍
繞者香生嶽阿岐嶺也相山丘而興畠臨𧮾谷
而辟田矣或可觀者秋時紅葉諸峯林巒懸繡
曝錦或可傷者冬日勁寒飛雪撲靣厲風裂層
春花遅夏天涼者是斯地之氣候耳迨至于麓
郭之内外士館商肆各抱地勢而高低接列人
類不齋而自稟其異氣以生育者也於乎一方
孤城孤不孤聲稱布于遐邇霧城名實寔夫有
在焉於是乎記

※1 今以三百六十歩為一里也

  1. ^ ここで三百六十歩を一里とする。

古文書の翻訳: このページは遠山来由記を現代語に翻訳したものです。より正確な表現を知るためには原文を参照してください。文中の(小さな薄い文字)は訳註を表しています。

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