槙平

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{{ruby|<strong>槙平</strong>|まきだいら}}<map title="槙平" lon="137.52875" lat="35.391757"/>は[[風神神社]]へ向かう<strong>阿木恵那林道</strong>をさらに登り狸沢と[[阿木川]]が合流する付近の通称。山岳地の中にありながら比較的なだらかな土地が広がる場所として古くから里人に知られている。
 
{{ruby|<strong>槙平</strong>|まきだいら}}<map title="槙平" lon="137.52875" lat="35.391757"/>は[[風神神社]]へ向かう<strong>阿木恵那林道</strong>をさらに登り狸沢と[[阿木川]]が合流する付近の通称。山岳地の中にありながら比較的なだらかな土地が広がる場所として古くから里人に知られている。
  
現在の槙平は営林署の小屋あり[[焼山]]や[[天狗森山]]登山の目印となっている。槙平までは普通車の走行が可能な砂利敷きの林道が続いているが、途中に車止めのゲートがあり一般車両の進入には許可が必要である。また周囲の山々から阿木川ダムの水を集めているため、ここに雨量観測所が設置されている。
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現在の槙平は営林署の小屋あり[[焼山]]や[[天狗森山]]登山の目印となっている。槙平までは普通車の走行も可能な砂利敷きの林道が続いているが、途中に車止めのゲート<map name="阿木恵那林道ゲート" lat="35.383106" lon="137.514333"/>があり一般車両の進入には許可が必要となっている。
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周囲の山々は阿木川ダムの水を集めるための貯水林であるため、ここに雨量観測所が設置されている。
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車止めのゲートから約2.5km、徒歩片道1時間弱の距離にある。林道は整備されておりスニーカー程度でも安全に歩くことが出来る。周囲は綺麗な森と川が続きハイキングに丁度良い場所である。
  
 
== 沿革 ==
 
== 沿革 ==

2009年6月21日 (日) 00:52時点における版

槙平(まきだいら)[MAP]風神神社へ向かう阿木恵那林道をさらに登り狸沢と阿木川が合流する付近の通称。山岳地の中にありながら比較的なだらかな土地が広がる場所として古くから里人に知られている。

現在の槙平は営林署の小屋あり焼山天狗森山登山の目印となっている。槙平までは普通車の走行も可能な砂利敷きの林道が続いているが、途中に車止めのゲート[MAP]があり一般車両の進入には許可が必要となっている。

周囲の山々は阿木川ダムの水を集めるための貯水林であるため、ここに雨量観測所が設置されている。

車止めのゲートから約2.5km、徒歩片道1時間弱の距離にある。林道は整備されておりスニーカー程度でも安全に歩くことが出来る。周囲は綺麗な森と川が続きハイキングに丁度良い場所である。

目次

沿革

1824年 (文政7年/江戸後期)、阿木の領民の申し出で10年以内に田畑十町歩とする計画で開墾を開始。しかし 1828年 (文政11年/江戸後期) の免定で計画高の半分しか上げることが出来なかった。貸し付けを行った岩村藩はこの開墾失敗に対して処罰を行った (文政の阿木騒動参照)。

1921年 (大正10年)、下広岡耕地整理組合によって槙平から天狗森山の下を貫通し、阿木川の水を下広岡に引くための用水トンネルが完成。この用水路は大根木に近い新田という場所にあって現在も使用されている (場所不明[要調査])。トンネルの調子は良いが、出てからの用水路がよく詰まって保守が大変と言う。

写真集

四方山話

  • 法務局の土地台帳上に槙平で登録されているか、または川入にあたるかが不明[要調査]。広岡の新杜近くに槇平という小字が存在する。
  • 戦国時代の兵火を逃れた人々が阿木山に逃れ、その一部が時代が変わってもサンカとして山々を巡っていたと云う。槙平にもそのような人々の拠点があったのだろう。

参照

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