実利行者の塚
提供:安岐郷誌
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+ | {{ruby|'''実利行者'''|じつかがぎょうじゃ}}'''の塚'''は[[大野八幡神社]]裏手 100m ほどの森の中、[[倶楽部 (北側)|北側の倶楽部]]へ向かう道の脇に祀られている塚。ここは[[大野村]]の舞台があった場所である。横には[[w:役小角|役小角]] (役行者) の石像が建てられている。 | ||
== 人物 == | == 人物 == | ||
− | < | + | <strong>実利行者</strong> ({{ruby|林実利|はやしじつかが}}、俗名 林喜代八) は {{年号|1843}} に坂下村 {{note|(岐阜県中津川市坂下)}} の高部に生まれ、御嶽行者であった父親について御嶽で修行を積んだ。25歳の時に妻と子供二人を残して奈良大峰山、大台ヶ原、釈迦ヶ岳で修行を行い、役小角の弟子となり{{ruby|[[w:有栖川宮|有栖川宮]]殿下|ありすがわのみやでんか}}から<strong>大峰山二代行者実利師</strong>の号を賜った事で修験者として全国に名を馳せた。 |
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− | 政府の目を恐れてか実利行者の塚はあまり存在せず、那智の滝と出生地の坂下、[[恵那山]] | + | 政府の目を恐れてか実利行者の塚はあまり存在せず、那智の滝と出生地の坂下、[[恵那山]]落合ルートを開いたと伝わる中津川市落合、そして阿木大野のここくらいしかないといわれている。森の中にひっそり祀られているのも役人の目から隠すためだったのかもしれない。 |
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== 外部リンク == | == 外部リンク == | ||
* [http://www.takenet.or.jp/~ryuuji/saka/furusato/220.html ふるさと坂下 実利霊神] | * [http://www.takenet.or.jp/~ryuuji/saka/furusato/220.html ふるさと坂下 実利霊神] | ||
+ | * [http://park21.wakwak.com/~koiori/ono-gyojyahi.html 実利行者の足跡めぐり] | ||
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2013年9月17日 (火) 12:08時点における最新版
行者塚 | |
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180px 実利行者の塚 | |
住所 | 岐阜県中津川市阿木北側 |
位置 | N35:24:38.43/E137:29:08.09 |
祭神 | 実利霊神 |
[編集] 人物
実利行者 (
1872年 (明治5年) に明治政府から修験禁止令が出された後も政府の追撃を逃れて活動を続行。1884年 (明治17年)、無様は死に方はしたくないという決意の元、即身仏となるべく熊野の那智の滝から飛び降りた。入水し命絶えた後においても座禅を組んだままの見事な御姿だったと言われている。この入水後からしばらくは那智の滝よりも実利行者をお参りに来る人の方が多く押しかけたという。
政府の目を恐れてか実利行者の塚はあまり存在せず、那智の滝と出生地の坂下、恵那山落合ルートを開いたと伝わる中津川市落合、そして阿木大野のここくらいしかないといわれている。森の中にひっそり祀られているのも役人の目から隠すためだったのかもしれない。
- Jitsukagagoja01.jpg
09/06/15 実利行者と役行者。
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09/06/15 台座に信者の名前が彫られている。
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09/06/15 明治十七甲申年三月廿八日。旧暦の実利行者入水日。
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09/06/15 杉林の中に祀られている。