恵奈郡
提供:安岐郷誌
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平安時代の[[w:和名抄|和名抄]] {{note|(931-938年/承平年間)}} によれば、美濃国恵奈郡六郷として{{ruby|<strong>絵上</strong>|えのかみ}}、{{ruby|<strong>絵下</strong>|えのしも}}、{{ruby|<strong>坂本</strong>|さかもと}}、{{ruby|<strong>竹折</strong>|たけおり}}、{{ruby|<strong>淡気</strong>|たむけ}}、{{ruby|<strong>[[安岐郷|安岐]]</strong>|あぎ}}が記されている。 | 平安時代の[[w:和名抄|和名抄]] {{note|(931-938年/承平年間)}} によれば、美濃国恵奈郡六郷として{{ruby|<strong>絵上</strong>|えのかみ}}、{{ruby|<strong>絵下</strong>|えのしも}}、{{ruby|<strong>坂本</strong>|さかもと}}、{{ruby|<strong>竹折</strong>|たけおり}}、{{ruby|<strong>淡気</strong>|たむけ}}、{{ruby|<strong>[[安岐郷|安岐]]</strong>|あぎ}}が記されている。 | ||
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恵奈郡は信濃国筑摩郡と境界を接していたことから古くから境界争いが絶えなかった。朝廷は貞観年間 {{note|(859-877年/平安)}} に藤原朝臣正範と靱負直継雄などを遣わして両国国司立ち会いの上で国境を「{{ruby|県坂上岑|あがたさかうえのみね}}」と定め、吉蘇・小吉蘇の両村を恵奈郡絵上郷の地と裁断した<ref name="日本歴史地名大系"><strong>日本歴史地名大系</strong>, <i>平凡社地方資料センター</i>, 1993年, 平凡社, ISBN 978-4040012100</ref>。 | 恵奈郡は信濃国筑摩郡と境界を接していたことから古くから境界争いが絶えなかった。朝廷は貞観年間 {{note|(859-877年/平安)}} に藤原朝臣正範と靱負直継雄などを遣わして両国国司立ち会いの上で国境を「{{ruby|県坂上岑|あがたさかうえのみね}}」と定め、吉蘇・小吉蘇の両村を恵奈郡絵上郷の地と裁断した<ref name="日本歴史地名大系"><strong>日本歴史地名大系</strong>, <i>平凡社地方資料センター</i>, 1993年, 平凡社, ISBN 978-4040012100</ref>。 | ||
− | + | これは、この裁定に先だって {{年号|713}} に美濃守笠朝臣麻呂により東山道の補助路として[[w:木曾谷|吉蘇路]]が開かれた事を理由としている。木曽は {{年号|1701}} 頃まで恵奈郡に属していた。 | |
なお県坂とは[[w:鳥居峠|鳥居峠]]の古い名であり、県坂上岑は現在の長野県木曽郡と塩尻市の境にある[[w:鉢盛山|鉢盛山]]<map name="鉢盛山" lat="36.086658" lon="137.755028"/>系とする説がある<ref name="日本歴史地名大系"/>。 | なお県坂とは[[w:鳥居峠|鳥居峠]]の古い名であり、県坂上岑は現在の長野県木曽郡と塩尻市の境にある[[w:鉢盛山|鉢盛山]]<map name="鉢盛山" lat="36.086658" lon="137.755028"/>系とする説がある<ref name="日本歴史地名大系"/>。 | ||
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2009年8月8日 (土) 10:06時点における版
恵奈郡が置かれたのは 646年 (大化2年/飛鳥) の 大化の改新頃だろうと推定されている[1]。最初に恵奈の名が見られるのは飛鳥池の木簡である (ただし刀支評 (土岐郡) の一郷として記されている)。また 750年 (天平勝宝2年/奈良) 4月22日の美濃国司解 (東南院文書) に「恵奈郡絵下郷」と記されている。
平安時代の和名抄 (931-938年/承平年間) によれば、美濃国恵奈郡六郷として
吉蘇
恵奈郡は信濃国筑摩郡と境界を接していたことから古くから境界争いが絶えなかった。朝廷は貞観年間 (859-877年/平安) に藤原朝臣正範と靱負直継雄などを遣わして両国国司立ち会いの上で国境を「
これは、この裁定に先だって 713年 (和銅6年/奈良) に美濃守笠朝臣麻呂により東山道の補助路として吉蘇路が開かれた事を理由としている。木曽は 1701年 (元禄14年/江戸初期) 頃まで恵奈郡に属していた。
なお県坂とは鳥居峠の古い名であり、県坂上岑は現在の長野県木曽郡と塩尻市の境にある鉢盛山系とする説がある[2]。
- ^ 角川日本地名大辞典 21 岐阜県, 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三, 1980年(昭和55年), 株式会社角川書店, ISBN 978-4040012100
- ^ 2.0 2.1 日本歴史地名大系, 平凡社地方資料センター, 1993年, 平凡社, ISBN 978-4040012100