岩村街道

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(岩村)
(岩村城下)
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<tr><td>郵便局西の三叉路<map title="岩村街道起点" lat="35.36569" lon="137.44114"/></td></tr>
 
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<tr><td class="smaller"> ↓殿町</td></tr>
 
<tr><td class="smaller"> ↓殿町</td></tr>
<tr><td>源吾坂上<map title="源吾坂上" lat="35.36790" lon="137.44452"/></td></tr>
+
<tr><td>いぼ石<map title="いぼ石" lat="35.36790" lon="137.44452"/></td></tr>
 
<tr><td class="smaller"> ↓源吾坂</td></tr>
 
<tr><td class="smaller"> ↓源吾坂</td></tr>
 
<tr><td>源吾坂下<map title="源吾坂下" lat="35.37145" lon="137.44635"/></td></tr>
 
<tr><td>源吾坂下<map title="源吾坂下" lat="35.37145" lon="137.44635"/></td></tr>

2009年6月7日 (日) 07:24時点における版

岩村街道(いわむらかいどう)は中山道大井駅と岩村城下をつなぐ旧街道。文献によっては阿木街道、東之井道路と書かれている事もある。現在の国道363号線岩村本町-阿木寺領間、県道407号線に相当する。

目次

旧道案内

岩村城下から大井宿へ向かう経路で、現在の道路から外れる旧道について記述する。

岩村城下

岩村城下 → 打杭峠
郵便局西の三叉路[MAP]
 ↓殿町
いぼ石[MAP]
 ↓源吾坂
源吾坂下[MAP]
 ↓国道363号
阿弥陀堂[MAP]
 ↓山道
打杭峠[MAP]

国道363号のうち本町-富田間 (裏山交差点[MAP]-源吾坂下[MAP]間) は昭和50代後半以降に造成された道路である。明治時代の地図を眺めると岩村郵便局西の三叉路[MAP]が街道の起点のようである。

殿町を抜け国道363号を渡っていぼ石の横を通る。源吾坂下から富田の阿弥陀堂 (さかしま桜) までは国道363を行く。阿弥陀堂の横の山道を登って峠頂上の牧場脇へ出る。

打杭峠

阿木

県道407号を道なりに進んで野内の坂を下る。寺川の手前で右折して県道406号に入り、保育園、郵便局前を通り阿木川手前で右折して A コープ前の旧阿木橋を渡る。橋場の坂を上がり若王子神社の山の西側を廻って国道363号と合流。その先の塞之神橋で旧国道363号に入り、塞之神神社の前を通って直進。日帰方面に向かう三叉路を右に行き打杭峠 (乗馬場の横) を越える。打杭峠の阿木側は整備されているが岩村側は山道である。

宮ノ根

左に登って上で大野農免道と合流する。農免道の先で神明神社・子安寺に下り、旧県道407号と合流。飯沼川(神明橋)を越えてそのまま道なりに現県道407号に戻る。なお、現在のように県道407号を直進させ野田からの道と繋げたのは昭和60年頃である。

東野

恵那の大井宿[MAP]へ向かう経路で、

東野から県道407号を進み後田川 (下沢橋) を越え、飯沼川の前で県道を逸れて左に登る。このあたりは現在の明知鉄道軌道が道路だったようにも見受けられる。実際、県道のこの付近は造成で切り開かれたような造りである。


なお塞之神から日帰を抜け大円寺につながる道も書かれている。これは大円寺へ抜けるための間道だったのだろう。

巖邑府誌[1]によれば以下の地区を「東之井道路沿い」と記している。

  1. 福岡 (幸神)
  2. 田中
  3. 橋場 (橋の先後)
  4. 寺領 (田中と寺領の間には川が通り橋がある)
  5. 野内
  6. 赤坂
  1. ^ 巖邑府誌, 首藤元震, 1751年(寛永4年) (岩村町教育委員会, 昭和53年, 大衆書房)

参照

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