岩村藩主
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2009年8月13日 (木) 15:58時点における版
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岩村遠山氏
遠山景朝
遠山景重
遠山景長
遠山朝兼
遠山景忠
遠山頼景
遠山景基
遠山景次
遠山景勝
遠山景廣
遠山頼景
遠山景友
遠山景前
- 遠山左衛門尉
16世紀前半の人。天文年間 (1532-1554/戦国) に遠山氏の菩提寺である大円寺に臨済宗妙心寺派の高僧明叔・希菴を招く。1547年 (天文16年/戦国) に岩村八幡神社の社頭を一宇造営。1556年 (弘治2年/戦国) 没の位牌あり。
奉造立八幡宮社頭一宇 遷宮師 法師 良辯
大檀主遠山左衛門尉景前 敬白
天門十六年丁未霜月十日 棟梁大工 熱田宮住人粟田源四郎守次 三郎右衛門宗教
○法名
景前院殿前左金吾前宗護大禪定門 神儀
弘治二年丙辰七月十三日
三河後風土記では 1501年 (文亀元年/戦国) の松平長親と北条早雲の合戦で松平方の軍として参加したと書かれているが、没年の55年も前であるため書き記した者の間違いである。これについて遠山来由記ではその時代の頼景と間違えたと推測し、巖邑府誌では享禄・天文の松平清康の宇利城攻めに景前が三河方で参戦したのを間違えたと推測している。
遠山景任
戦国期
御坊丸
秋山信友
河尻秀隆
鎮吉
団忠正
森長可
森忠政
田丸直昌
具安
大給松平氏
松平家乗
- 大聖院殿乗誉道見大居士
大給松平家の初代宗主。1601年 (慶長6年/安土桃山) 正月に上野国那波藩一万石より美濃国岩村藩二万石に転封。乗政寺山に菩提寺久翁山龍巌寺を建立。1614年 (慶長19年/江戸初期) 享年40で没。大名墓地に墓標あり。
松平乗寿
- 源高院深誉道徹
丹羽氏
丹羽氏信
- 慈明院殿可山道印大居士
大名墓地に墓標あり。
丹羽氏定
- 興昌院殿桃雲宗萼大居士
大名墓地に墓標あり。
丹羽氏純
- 直指院殿性山義見大居士
大名墓地に墓標あり。
丹羽氏明
- 性覚院殿長門權刺史徳雲道海大居士
大名墓地に墓標あり。
丹羽氏音
元禄の山村騒動の責任を問われ越後高柳一万石に転封された。
大給松平氏(分派)
松平乗紀
- 龍玄院雲巌悟心
松平乗賢
- 慈仙公