焼山
提供:安岐郷誌
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{{ruby|'''焼山'''|やけやま}}は上矢作との境界に位置する山。全国にある他の焼山と区別するために美濃焼山とも呼ばれる事もある。 | {{ruby|'''焼山'''|やけやま}}は上矢作との境界に位置する山。全国にある他の焼山と区別するために美濃焼山とも呼ばれる事もある。 | ||
− | 焼山という名は山のあちこちで[[炭焼き]]の煙が立ち上っていたことに由来する。明治の地図<ref><strong>日本歴史地名大系</strong> (平凡社) 特別付録輯製二十万分一図復刻版 明治十七年</ref>には阿木と長野の県境に{{ruby|<strong>阿賀滝山</strong>|あかたきやま}}という名が見られるが、赤滝の山といえば現在の焼山である事から明治の頃までは阿賀滝山 (赤滝山) と呼ばれていたと考えられる。 | + | 焼山という名は山のあちこちで[[炭焼き]]の煙が立ち上っていたことに由来する。明治の地図<ref><strong>日本歴史地名大系</strong> (平凡社) 特別付録輯製二十万分一図復刻版 明治十七年</ref><ref><strong>恵那郡誌</strong>, 恵那郡教育会, 大正十五年</ref>には阿木と長野の県境に{{ruby|<strong>阿賀滝山</strong>|あかたきやま}}という名が見られるが、赤滝の山といえば現在の焼山である事から明治の頃までは阿賀滝山 (赤滝山) と呼ばれていたと考えられる。 |
三省堂日本山名事典によれば[[w:新第三紀中新世|新第三紀中新世]]の中期に起きた岩村逆断層 ([[恵那山断層|恵那山断層系]]) によって隆起した山である。上矢作町との境に位置し、阿木の生活域からは[[天狗森山]]に隠れて見ることはできないが川上の[[恵那神社]]などから見る事が出来る。山頂付近は深い熊笹に囲まれて近付けないと聞く。 | 三省堂日本山名事典によれば[[w:新第三紀中新世|新第三紀中新世]]の中期に起きた岩村逆断層 ([[恵那山断層|恵那山断層系]]) によって隆起した山である。上矢作町との境に位置し、阿木の生活域からは[[天狗森山]]に隠れて見ることはできないが川上の[[恵那神社]]などから見る事が出来る。山頂付近は深い熊笹に囲まれて近付けないと聞く。 |
2009年11月12日 (木) 06:26時点における版
山稜 | |
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180px 恵那神社から(奥の山陵) | |
位置 | N35:24:13.77/E137:33:51.09 |
標高 | 1,709m |
焼山という名は山のあちこちで炭焼きの煙が立ち上っていたことに由来する。明治の地図[1][2]には阿木と長野の県境に
三省堂日本山名事典によれば新第三紀中新世の中期に起きた岩村逆断層 (恵那山断層系) によって隆起した山である。上矢作町との境に位置し、阿木の生活域からは天狗森山に隠れて見ることはできないが川上の恵那神社などから見る事が出来る。山頂付近は深い熊笹に囲まれて近付けないと聞く。