阿木山

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阿木の山々は[[川上断層]]、[[奥平断層]]の活動によって[[w:中新世|新第三紀中新世]]から[[w:第四紀|第四紀]]にかけて隆起した。[[阿木盆地]]から天狗森山を見ると屏風がそびえ立ったような特徴的な風姿を見せているのは、逆断層の隆起により北西側の傾斜が大きく張り出したためである。
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阿木の山々は[[川上断層]]、[[奥平断層]]の活動によって[[w:中新世|新第三紀中新世]]から[[w:第四紀|第四紀]]にかけて隆起したものである。[[阿木盆地]]から天狗森山を見ると屏風がそびえ立ったような特徴的な風姿を見せているのは、逆断層の隆起により北西側の傾斜が大きく張り出したためである。実際、天狗森山の稜線を歩いてみると北西側 (里側) でばかり山抜けが発生しているのが分かる。
  
また風化しやすい花崗岩を基盤岩としていることから、なだらかな風姿を持つ山となっている。
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また風化しやすい花崗岩を基盤岩としていることから、全体的になだらかな風姿を持つ山となっている。
  
阿木山は古く{{ruby|<strong>行事岳</strong>|ぎょうじだけ}}とも呼ばれている。行事とは神聖な宗教儀式の意味で、[[長楽寺]]や[[龍泉寺]]僧の儀式や修行の場でもあった。これらの山々は[[風神神社]]を通る[[阿木川]]沿いの[[阿木林道|林道]]から登山が可能である。
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阿木山は古く{{ruby|<strong>行事岳</strong>|ぎょうじだけ}}とも呼ばれている。行事とは神聖な宗教儀式の意味で、[[長楽寺]]や[[龍泉寺]]僧の儀式や修行の場でもあったと考えられる。また明治頃までは[[天狗森の池]]で雨乞いの儀式などを行っていた。
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これらの山々は[[風神神社]]を通る[[阿木川]]沿いの[[阿木林道|林道]]から登山が可能である。
  
 
== 登山 ==
 
== 登山 ==

2009年12月11日 (金) 04:04時点における版

阿木山(あぎやま)は阿木の生活域から東方向に見られる天狗森山を中心とした山々の総称。正確な定義はなく、狭義には天狗森山のみを、広義には焼山まで含む阿木の山岳地域一帯を示す。阿木の生活や歴史に深く関わってきた山である。

ファイル:Agiyama.jpg
[MAP]2003年1月 上広岡清水の駕台(かごだ)から。

地形

阿木山

生活地域から見られる天狗森山の後ろには阿木川の源流が流れており、その先の岐阜県境付近に焼山が控えている。

阿木の山々は川上断層奥平断層の活動によって新第三紀中新世から第四紀にかけて隆起したものである。阿木盆地から天狗森山を見ると屏風がそびえ立ったような特徴的な風姿を見せているのは、逆断層の隆起により北西側の傾斜が大きく張り出したためである。実際、天狗森山の稜線を歩いてみると北西側 (里側) でばかり山抜けが発生しているのが分かる。

また風化しやすい花崗岩を基盤岩としていることから、全体的になだらかな風姿を持つ山となっている。

阿木山は古く行事岳(ぎょうじだけ)とも呼ばれている。行事とは神聖な宗教儀式の意味で、長楽寺龍泉寺僧の儀式や修行の場でもあったと考えられる。また明治頃までは天狗森の池で雨乞いの儀式などを行っていた。

これらの山々は風神神社を通る阿木川沿いの林道から登山が可能である。

登山

阿木の山々へは風神神社の林道を登って阿木恵那林道ゲートから入るのが一般的である。

携帯電話は天狗森-橋ヶ谷山稜線上で利用できる以外、風神神社より先では山の裏側に入るため電波が通じない (docomoは一部区域通話可)。

なお所々にツキノワグマの痕跡が見られるため熊鈴などの携帯が必要である。

四方山話

  • 明治17年の地図[1]には阿賀滝山三階嶺という山名が書かれている。地図上の位置関係が全体的におかしいが、阿賀滝は赤滝で焼山の旧称と推測される。
  • 阿木史略 (鈴木順一) によれば古本記(?)に阿賀滝山の名があると書かれているが詳細不明。
  1. ^ 輯製二十万分一図, 平凡社 日本歴史地名大系 特別付録, 明治17年

関連項目

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