神坂峠
提供:安岐郷誌
現在は中央自動車道恵那山トンネルが神坂峠の真下を通っている。
古代
755年 (天平勝宝7年/奈良)、防人に立った信濃国埴科郡神人部子忍男が「ちはやぶる 神の御坂に幣奉り 斎ふ命は母父のため」と旅の無事を祈った歌が「万葉集」(巻20) に納められている。
律令制下
神坂峠は古代東山道最大の難所である。坂本駅-阿智駅の間にあり、峠越えの大変さは斉衡2年 (855) 正月28日の太政官符 (類聚三代格) に記されている。
恵奈郡坂本駅与信濃国阿智駅相去七十四里雲山畳重路遠坂高載星早発犯夜遅刻一駅之程猶倍数駅駅子負荷常困運送寒節之中道死者衆
74里 (約40km) の道はつづら折りの険しい坂で、朝早く出ても到着は夜遅く、数駅分の労を要し、駅子の負担は過重、冬には道中に死者が出ていた。この事は[[大井駅 (東山道)|大井駅]、坂本駅、阿智駅に配備された駅馬の頭数や、駅子の課役の特別免除、また駅子の逃亡などからも見て取れる。
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