飯羽間城跡
提供:安岐郷誌
名所旧跡 | |
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飯羽間城 飯羽間城 | |
位置 | M35:22:27.95, E137:24:40.94 |
由緒書き
飯羽間遠山氏と中世の城飯羽間城
飯羽間遠山氏は鎌倉時代に岩村遠山氏から分家して発祥した。遠山子城は十八子城あるが、飯羽間城は本家岩村城に最も近く重要な城で典型的な中世の城である。
室町時代は足利将軍に出仕勤番し、将軍に直属する有力な奉公衆で「永享以来御番帳」の永享三年 (一,四三一年) に遠山飯羽間宮内少舗の名がある。
戦国時代は織田信長方に属し、城主遠山友信は元亀元年 (一、五七〇年、一説に元亀三年) の上村合戦 (恵那郡上矢作町) に出陣したが、当時遠山一族の有力者で七遠山の一人だった。
飯羽間城の規模は大きく、山間にありながら平山城で、一の曲輪から出曲輪ももち、さらに枝城、物見台等も多く配してあった。
飯羽間城は天正二年 (一,五七四年) に武田信玄の子、勝頼と、その精鋭に攻撃され、織田信長から派遣されてきた十四騎の武士と城兵三百五十余人が全滅し、城主は土蔵に追い込まれて生け捕られた。(甲陽軍鑑より)
こうして飯羽間城は姿を消した。
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