倶楽部 (清水)
提供:安岐郷誌
棟札等はなく弘法堂としての建立は不明であるが、恵南新四国八十八ヶ所の二十七番札所に指定されている。旧暦の3月18日を祭日とし清水、中組、下広岡で一年ごとに持ち回りで祭事を行っている。
清水開発之碑
當地区は越沢、梨沢、馬籠の三川に水源を持ち遠く慶安年間に開拓、爾来大供水や大飢饉など幾多の変遷を経て今日に至ったところである。この地は肥沃な水田ではあるが、その区画は狭隘で道路も狭く耕作は極めて不便なものであった。昭和四十年代後期、構造改善事業が取り入れられ機械化の進歩と伴に農業の大転換期を迎へる 平成五年待望の水田基盤整備は終り、昭和六十三年拡幅の爲着工された清水基幹道路も益々地域にとって利用しやすくなる。今にして矛を転ずれば老朽化した集会所も、昭和六十一年十一月新築され名実共に発展する清水組の姿を見る。その間水田基盤整備全般に至る協力或ひは道路の拡幅、集会所周辺の駐車場等々多大なる土地の提供を戴いた勲五等双光旭日章 鷹見彌兵衛氏に深甚なる感謝の意を捧げるものである。こゝに十数年の長きに亘る大事業に対して限りない御協力を戴いた多数の関係者に衷心より 謝して止まない。
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2009/12 清水開発之碑。