利用者・トーク:Torao/研究と調査/胞衣伝説と子安講
提供:安岐郷誌
そもそも「遠山」が「恵那山」のことだという話はどこかに絡みそうですか?
おお、何か関連がありそうな匂いがしますが…
- 恵那地方は美濃の平原から遠くに臨む山稜ということで古くから遠山の名を持つ土地である。恵那山が遠山氏に対する隠語であるならば、恵那山に納められた胞衣とは則ち遠山氏に嫁いだおつやの方 (女城主) または養子に出された御坊丸を意味するのではないだろうか (その時代に美濃の地から遠山を臨んでいたのは言うまでもなく織田信長である)。つまりこの伝説は遠山氏に嫁ぎ飯妻の地で子を産み、悲劇の最後を終えた女城主の話が伝承の過程で伝説化したものなのかもしれない (おつやの方に跡継ぎが居なかったのは死産か子供のうちに亡くなった設定)。国学やこういった言葉遊びが流行りだしたのも胞衣伝説が書物に現れ始める江戸時代中期頃と一致する。
とか (難しい)。まぁ事実や史料に基づく推測なら意味がありますが、このネタ自体が仮定に基づく推測というただの歴史ロマンなので。
個人的には遠山氏より遠山荘を支配していた摂関家の方に興味があります。夫人にしても伝承なので「エライ人 = 奥方 = 遠山氏夫人」なだけかもしれない。でも遠山氏以前に関しては全然情報がない (正直、遠山氏と岩村藩に関してはお腹がいっぱい)。
ちなみに、阿木で配布されている歴史テキストの幾つかは巖邑府誌にあった倭姫説を推していて、胞衣伝説を振ると倭姫説で返って来る事が結構あります。
Torao 2009年7月8日 (水) 19:39 (UTC)