いぼ石

提供:安岐郷誌
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巖邑府誌には希菴が休んだ石という話が書かれている。府誌が書かれた江戸時代中期にはいぼではなく{{ruby|瘧|おこり}}だったようである。
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[[巖邑府誌/城府]]には希菴が休んだ石という話が書かれている。府誌が書かれた江戸時代中期にはいぼではなく{{ruby|瘧|おこり}}だったようである。
  
 
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2009年8月22日 (土) 16:53時点における版

いぼ石[MAP]は岩村の源吾坂上に置かれている霊石。いぼ神様とも呼ばれる。

ここから小石を借りて毎日をこすっているといぼが取れるという。外科治療や免疫治療がなかった頃の民間治療であろう。いぼが取れた後はお礼をして小石を返す。

また武田の兵火から逃れた大円寺の希菴(きあん)禅師が一休みした石とも伝えられている。希菴が殺された場所と云われる希菴橋、またその墓である希菴塚が飯羽間に存在する。

写真集

文献散策

現地の由緒書きには以下のように書かれている。

いぼ石
この石は いぼ石といって(いぼ)とりを祈願すると治るといわれ現在もお参りがある。伝説には武田信玄の兵に襲われた希菴禅師が大円寺より逃れこの石に掛けて一休みして飯羽間に向われたという。
また信長の叔母で岩村城主遠山景任に嫁ぎ後に武田二十四将の秋山信友と結婚した女性の墓とも伝えられている。世にいう女城主である。
岩村いぼ石01.jpg
資料撮影 09/02/21 [1]

巖邑府誌/城府には希菴が休んだ石という話が書かれている。府誌が書かれた江戸時代中期にはいぼではなく(おこり)だったようである。

また源吾坂という城府北官舎の傍らに一つの霊石がある。希菴が戦火を避けてここを通った時にこの石で休憩したと云う。里人の風習ではこの石を縛って瘧 (熱病) のまじないをする。

参照

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