いぼ石
提供:安岐郷誌
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'''いぼ石'''<map title="いぼ石" lat="35.36790" lon="137.44452" subtitle="旧道源吾坂上の三叉路"/>は岩村の源吾坂上に置かれている霊石。いぼ神様とも呼ばれる。 | '''いぼ石'''<map title="いぼ石" lat="35.36790" lon="137.44452" subtitle="旧道源吾坂上の三叉路"/>は岩村の源吾坂上に置かれている霊石。いぼ神様とも呼ばれる。 | ||
− | + | ここから借りた小石で毎日[[w:イボ|いぼ]]をこすっていると取れるという言い伝えがある。外科治療や免疫治療がなかった頃の民間療法であろう。いぼが取れた後はお礼をして小石を返す習わしである。 | |
− | + | また[[岩村城の戦い]]において武田軍の兵火から逃れた[[大円寺]]の{{ruby|希菴|きあん}}禅師が一休みした石とも伝えられている。希菴が殺された場所と云われる[[希菴橋]]、またその墓である希菴塚が飯羽間に存在する。 | |
== 写真集 == | == 写真集 == | ||
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<hibun photo="09/02/21=岩村いぼ石01.jpg"> | <hibun photo="09/02/21=岩村いぼ石01.jpg"> | ||
− | <div>いぼ石</div> | + | <div> |
− | <div>この石は いぼ石といって{{ruby|疣|いぼ}}とりを祈願すると治るといわれ現在もお参りがある。伝説には武田信玄の兵に襲われた希菴禅師が大円寺より逃れこの石に掛けて一休みして飯羽間に向われたという。</div> | + | いぼ石 |
− | <div>また信長の叔母で岩村城主遠山景任に嫁ぎ後に武田二十四将の秋山信友と結婚した女性の墓とも伝えられている。世にいう女城主である。</div> | + | </div> |
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+ | この石は いぼ石といって{{ruby|疣|いぼ}}とりを祈願すると治るといわれ現在もお参りがある。伝説には武田信玄の兵に襲われた希菴禅師が大円寺より逃れこの石に掛けて一休みして飯羽間に向われたという。 | ||
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+ | また信長の叔母で岩村城主遠山景任に嫁ぎ後に武田二十四将の秋山信友と結婚した女性の墓とも伝えられている。世にいう女城主である。 | ||
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− | [[巖邑府誌/城府]]には希菴が休んだ石という話が書かれている。府誌が書かれた江戸時代中期にはいぼではなく{{ruby|瘧|おこり}}だったようである。 | + | [[巖邑府誌/城府|巖邑府誌]]には希菴が休んだ石という話が書かれている。府誌が書かれた江戸時代中期にはいぼではなく{{ruby|瘧|おこり}}だったようである。 |
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2010年9月11日 (土) 19:27時点における最新版
いぼ石は岩村の源吾坂上に置かれている霊石。いぼ神様とも呼ばれる。
ここから借りた小石で毎日いぼをこすっていると取れるという言い伝えがある。外科治療や免疫治療がなかった頃の民間療法であろう。いぼが取れた後はお礼をして小石を返す習わしである。
また岩村城の戦いにおいて武田軍の兵火から逃れた大円寺の
[編集] 写真集
- Ibo stone01.jpg
09/06/14 いぼ石。
- Ibo stone02.jpg
09/06/14 いぼ石の三叉路。
[編集] 文献散策
現地の由緒書きには以下のように書かれている。
巖邑府誌には希菴が休んだ石という話が書かれている。府誌が書かれた江戸時代中期にはいぼではなく
また源吾坂という城府北官舎の傍らに一つの霊石がある。希菴が戦火を避けてここを通った時にこの石で休憩したと云う。里人の風習ではこの石を縛って瘧 (熱病) のまじないをする。