お立ち待ち

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{{ruby|'''お立ち待ち'''|おたちまち}}とは旧暦の9月22日に何かの願をかけ日が沈んでから月が上がるまで立ったままでいるという風習。今では名前を知っている人も多くない。特に集まりもなくそれぞれの好き好きで行っていた。阿木の中なら大体通じていたが他の村でもやっていたかは不明。
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月待信仰は月に阿弥陀、菩薩、{{ruby|勢至|せいし}}の三尊を見いだし月が出るまで念仏を唱える法会である。ただし庶民の間では月待ちにかこつけて集まり、夜更けまで飲み食いや遊び事に耽ったり、願をかけて立ったままでいたりという風習として伝わった。
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月待講は全国的には明治の頃に廃れ、今では阿木や恵那地域でお立ち待ちの名前を知っている人も多くはない。
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* 立ったままじゃやることも無いので、大野から広岡の六地蔵を参って戻ってくると大体それくらいの時間になっておった。特に集まりもなくそれぞれの好き好きで行っていた。阿木の中なら大体通じていたが他の村でもやっていたかは不明 (大野伊藤さ)。
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* 岩村町富田地区では {{年号|1994}} から「秋の月待ちお堂めぐり」として地域に点在する5ヶ所のお堂と5ヶ所の石仏をめぐるスタンプラリーが行われている。
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==外部リンク==
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* [http://cleanup.jp/life/edo/42.shtml クリナップ 月見いろいろ 十五夜・十三夜・二十六夜待ち]
  
 
[[Category:風習|おたちまち]]
 
[[Category:風習|おたちまち]]
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[[Category:近世|おたちまち]]
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[[Category:明治|おたちまち]]

2010年9月4日 (土) 05:56時点における最新版

お立ち待ち(おたちまち)とは旧暦の9月22日に日没から月が上がるまで願をかけて立ったままでいるという風習。二十二夜はおおよそ半月で月の出は夜半頃である。古来からの月見、また江戸時代後期に流行した月待講二十二夜に由来する。

月待信仰は月に阿弥陀、菩薩、勢至(せいし)の三尊を見いだし月が出るまで念仏を唱える法会である。ただし庶民の間では月待ちにかこつけて集まり、夜更けまで飲み食いや遊び事に耽ったり、願をかけて立ったままでいたりという風習として伝わった。

月待講は全国的には明治の頃に廃れ、今では阿木や恵那地域でお立ち待ちの名前を知っている人も多くはない。

[編集] 話題

  • 立ったままじゃやることも無いので、大野から広岡の六地蔵を参って戻ってくると大体それくらいの時間になっておった。特に集まりもなくそれぞれの好き好きで行っていた。阿木の中なら大体通じていたが他の村でもやっていたかは不明 (大野伊藤さ)。
  • 岩村町富田地区では 1994年 (平成6年) から「秋の月待ちお堂めぐり」として地域に点在する5ヶ所のお堂と5ヶ所の石仏をめぐるスタンプラリーが行われている。

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