さかしま桜

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(ページの作成: 打杭峠のさかしま桜 '''さかしま桜'''<map name="さかしま桜" lat="35.380813" lon="137.459667"/>は打杭峠の...)
 
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'''さかしま桜'''<map name="さかしま桜" lat="35.380813" lon="137.459667"/>は打杭峠の旧[[岩村街道]]沿いに立っている古桜。「さかしま」とは岩村周辺の方言であり漢字では{{ruby|<strong>逆桜</strong>|さかしまざくら}}と書く。
 
'''さかしま桜'''<map name="さかしま桜" lat="35.380813" lon="137.459667"/>は打杭峠の旧[[岩村街道]]沿いに立っている古桜。「さかしま」とは岩村周辺の方言であり漢字では{{ruby|<strong>逆桜</strong>|さかしまざくら}}と書く。
  
現在見られるさかしま桜は枝を上に伸ばす普通の桜である。また[[巖邑府誌/富田]]によれば、少なくとも江戸時代中期の段階でも普通の桜であったという。現在のさかしま桜は二代目と言われているが、実際にそのような桜があったかどうかは分からない。
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現在見られるさかしま桜は枝を上に伸ばす普通の桜である。また[[巖邑府誌/富田#打杭山|巖邑府誌]]によれば、少なくとも江戸時代中期でもごく普通の桜であったという。現在のさかしま桜は二代目と言われているが、本当にそのような桜があったかどうかは分からない。
 
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さかしま桜に関しては以下のような伝承が存在する。
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後者の話は[[巖邑府誌]]にも出てこないため、陰嚢緊縛死にインスパイアされた誰かが江戸時代中期以降に創作したものであろう。
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後者の話は巖邑府誌の森永貞注釈でも出てこないため、陰嚢緊縛死にインスパイアされた誰かが江戸時代後期以降に創作したものであろう。
  
 
どちらの話でも、これによって打杭峠の名が付いたと結んでいる。
 
どちらの話でも、これによって打杭峠の名が付いたと結んでいる。
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2009年6月20日 (土) 13:31時点における版

さかしま桜[MAP]は打杭峠の旧岩村街道沿いに立っている古桜。「さかしま」とは岩村周辺の方言であり漢字では逆桜(さかしまざくら)と書く。

現在見られるさかしま桜は枝を上に伸ばす普通の桜である。また巖邑府誌によれば、少なくとも江戸時代中期でもごく普通の桜であったという。現在のさかしま桜は二代目と言われているが、本当にそのような桜があったかどうかは分からない。

伝承

さかしま桜に関しては以下のような伝承が存在する。

昔々、阿木との村境を示すために打った杭が芽吹いてそのまま根付いてしまった。しかし逆さまに打ったために下方向に枝を伸ばす奇桜になった。

この話には男が打ち込んだ拍子に褌を巻き込み、そのまま陰嚢を締め付けて絶命したという変化系の話も存在する。

昔々、村の若者達が集まって肝試しを行うことになった。阿弥陀堂やら経塚やらの立ち並び、また鬼が出るという噂もある峠の上まで登った印に杭を打って戻ってくるという手筈だった。

ある若者がおっかなびっくり杭を打ち込みさて戻ろうという時、誰かに着物の裾を捕まれているのに気付いた。若者は恐ろしさの余り逃げ帰ろうとしたが相手は頑として着物を離さない。

夜が明けても若者が帰っていないのに気付いた村人達が様子を見に行くと、峠の上には恐怖の余りに絶命してしまった若者が横たわっていた。若者の打ち込んだ杭は着物の裾を巻き込んでいたのであった。

若者が打った杭はそのまま根付いたが、逆さまに打ち込んだために下方向に枝を伸ばす奇桜になった。

後者の話は巖邑府誌の森永貞注釈でも出てこないため、陰嚢緊縛死にインスパイアされた誰かが江戸時代後期以降に創作したものであろう。

どちらの話でも、これによって打杭峠の名が付いたと結んでいる。

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