乗政寺山墓地

提供:安岐郷誌
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旧跡
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乗政寺山墓地
住所岐阜県恵那市岩村町殿町
位置[MAP]北緯35:22:01.30, 東経 137:26:43.05

乗政寺山墓地(じょうせいじさんぼち)は旧岩村高校の東の丘 (乗政寺山) の南麓にある古くからの墓地。

この丘には松平氏以来藩主家系の菩提寺となる寺院が建てられている。現在は最後まで残っていた隆崇院が大通寺に移転したが、代々の岩村城主やその家族、家臣らの墓が残っている。また下田歌子の墓もここに建てられている。

目次

龍巌寺

久翁山龍巌寺松平家乗によって建立された寺院。1601年 (慶長6年/安土桃山)、家乗が上野国那波藩 (群馬県伊勢崎市) から岩村藩へ移封された時に菩提寺として開山した。1614年 (慶長19年/江戸初期) に家乗が没すると寺内の墓地に葬られ、家督は乗寿が継いだが、1638年 (寛永15年/江戸初期) 乗寿の駿河国浜松藩 (静岡県浜松市) 移封に伴い龍巌寺も浜松へ移された。

妙仙寺

大椿山妙仙寺丹羽氏信の転封により龍巌寺の跡地に建てられた曹洞宗の寺院。松平家寿に代わって 1638年 (寛永15年/江戸初期) に岩村に入領した氏信は丹羽家の菩提寺である妙仙寺を岩崎 (愛知県日進市岩崎) から移設した。1646年 (正保3年/江戸初期) に氏信が亡くなると妙仙寺に葬られ、以後氏定氏純氏明と丹羽氏四代が葬られた。

丹羽氏は1702年 (元禄15年/江戸初期)氏音の代に起きたお家騒動のため越後国高柳藩 (新潟県妙高市高柳) に減移封となった。妙仙寺もこれに従い越後に移った (現在は兵庫県加東市にある)。

隆崇院

晴雲山隆崇院は松平家乗夫人 (娘?) の命で建てられた浄土宗の寺院。1639年 (寛永16年/江戸初期) 乗寿が浜松へ移封となった翌年、家乗の陵墓を護るために妙仙寺 (龍巌寺跡) の西隣に建てられた。なお隆崇とは家乗夫人の(おくりな)である。

隆崇院は慶応年間 (1865-1868年/江戸後期) に現在の大通寺の場所に移された。

乗政寺

松石山乗政寺松平乗紀によって妙仙寺の跡地に建てられた浄土宗の寺院。1702年 (元禄15年/江戸初期)、氏音に代わって岩村に入領した乗紀は大給分家松平氏の菩提寺である乗政寺を信濃国小諸藩から移設した。

乗政寺は乗寿の次男で乗紀の父である松平乗政が小諸藩に封された時に菩提寺として建てた寺院である。「松平」と母方の姓「石川」を取って山号とし、自分の名を寺号とした。

乗政寺は松平氏と共に明治時代まで続くが、1871年 (明治4年) の岩村藩廃止とともに廃され、その遺物は乗政寺と縁の深い隆崇院が管理する所となった。

写真集

案内板

岩村町指定史跡 乗政寺城主墓地

慶長六年 (一六〇一年) 松平家乗 (大給(おぎゅう)松平本家) が岩村城主となりこの地に龍巌寺を建立した。寛永一五年 (一六三八年) に松平氏は浜松 (静岡県) へ移り三州伊保(いほ) (愛知県豊田市) から丹羽氏がきて妙仙寺とした。元禄一五年 (一七〇二年) に丹羽氏は越後高柳 (新潟県) へ移り妙仙寺も同地へ移った。丹羽氏のあとへ信州小諸(こもろ) (長野県) から大給分家の松平氏が移り小諸城内にあった乗政寺をここへ移した。この地は由緒ある地で城主や家臣の墓が多い。乗政寺は明治四年 (一八七一年) に廃藩置県となり住職も死んだのを機会に廃寺とし、寺佛等を縁の深い隆崇院へ移管し建物もこわした。

城主の墓は 松平家乗 丹羽氏四代 分家松平氏の乗薀(のりもり)嫡子で林述斎の兄の乗国ほかがある。特に丹羽氏の墓は巨大であるが若くして死んだ丹羽氏明の墓は六地蔵を配してある。分家松平氏 家臣の墓も多く役家の丹羽瀬、大野、佐藤家等や講談で知られた小兵の居合抜きの名人「美濃の小雀」こと井野猪左衛門の墓、東京の実践女子学園の創設者で愛国婦人会長となった、明治、大正の女傑下田歌子女史の墓もここにある。この墓地一帯の山を今も乗政寺山と呼んでいる。

岩村町教育委員会

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資料撮影 2009/08 [1]

関連項目

参考文献

  • 日本歴史地名大系, 平凡社地方資料センター, 1993年, 平凡社, ISBN 978-4040012100
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