和宮様御東下

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2009年6月19日 (金) 02:23時点における版

1861年 (文久元年/江戸後期) 10月、皇女和宮様が御東下される際に大井宿を御通行。

岩村藩領内ではこの御通行に際して道路整備や休憩所の設置、伝馬や人夫の配置などの大騒ぎとなった。また周辺の村々に過重な労役を課したため、野井村では百姓が代官に斬り掛かるという事件が起きた。

和宮泉

大井宿本陣の裏手、現在の城ヶ丘保育園の校庭に和宮泉(かずのみやせん)[MAP]と呼ばれる井戸が残っている。由緒書きによれば本陣の林家が使用しており、和宮様に水を供した井戸だと云う。

和宮泉(かずのみやせん)

ここ中山道大井宿は古くから領水の湧く井戸がたくさんありました。地中深くから良質な玉石を積み上げて掘られたこの井戸もその一つで、本陣林家が常用した井戸でした。文久元年十月、皇女和宮様の御東下の折にはこの井戸水を汲んで供したという話が残されています。御昼食の御小休憩にここ本陣にお立ち寄りになられた和宮様は生まれて初めての長旅でたいそうお疲れのご様子、ご同行の水見役の山城守は、庭の木陰の脇から湧くこの井戸水を検水されて、「良水これに勝る水なし」とたいそうお褒めになり、幾杯も汲み上げてお泊りの中津川宿までお運びになられました。(大井宿本陣十八代当主林茂樹氏の話より) 幕末の悲劇と言われた和宮様の御降嫁を後世に伝えるかのようにこの井戸は今も枯れることも濁ることもなく、水はこんこんと湧いています。

和宮泉由緒書き01.jpg
資料撮影 09/06/14 [1]

四方山話

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