墓戸峠
提供:安岐郷誌
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− | {{ruby|'''墓戸峠'''|はかととうげ}}は[[乙女谷林道]] | + | {{ruby|'''墓戸峠'''|はかととうげ}}は[[乙女谷林道]]の阿木と上矢作との境界に位置する峠。[[阿木恵那林道ゲート]]から約4km、徒歩1時間30分。古くからこの山々に住んでいた[[木地師]]の墓石があるためこの名で呼ばれている。 |
墓石には {{年号|1800}} と彫られている。200 年以上経過しているが文字が全て読める程の良い状態で残っている。 | 墓石には {{年号|1800}} と彫られている。200 年以上経過しているが文字が全て読める程の良い状態で残っている。 |
2010年9月4日 (土) 07:33時点における最新版
山稜 | |
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180px 墓戸峠 | |
位置 | N35:22:28.85/E137:31:33.75 |
標高 | 1,161m |
墓石には 1800年 (寛政12年/江戸中期) と彫られている。200 年以上経過しているが文字が全て読める程の良い状態で残っている。
[編集] 由来
明治政府が誕生した時、上矢作から木曽に渡る山々が御料林として帝室林野局の管轄となる事となった。しかし古くから上矢作や阿木の山々を生活の場にしていた木地師の一族らがこれに大反対。彼らはここが自分たちの土地であることを主張するため峠に墓を建てた。
- 一説には墓石を移したとも聞く。墓石は一基しかなく墓地として整備した跡もないため元々の場所から移したというが正しいのかも知れない。
- 一方で「戸」とは集落を意味する言葉であることから、この峠には古くから墓地などの生活拠点があったという解釈も出来る。
なお現在の阿木山の大部分が国有林となっているのは御料林だった由縁である。
[編集] 写真集
- Hakato toge02.jpg
2009/11 峠にある営林署の看板。
- Hakato toge03.jpg
2009/11 峠の道。
- Kijishinohaka01.jpg
2009/11 笹藪に立つ墓石。
- Kijishinohaka02.jpg
2009/11 高雲壽山信士
- Kijishinohaka03.jpg
2009/11 寛政十二庚申歳
- Kijishinohaka04.jpg
2009/11 正月二十六日
- Kijishinohaka05.jpg
2009/11
- Kijishinohaka06.jpg
2009/11 写真左の木の根元に墓石がある。