実利行者の塚

提供:安岐郷誌
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行者塚
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実利行者の塚
住所岐阜県中津川市阿木北側
位置[MAP]N35:24:38.43/E137:29:08.09
祭神実利霊神

実利行者(じつかがぎょうじゃ)の塚大野八幡神社裏手 100m ほどの森の中、北側の倶楽部へ向かう道の脇を開いて祀られている塚。横には役小角 (役行者) の石像が建てられている。

人物

実利行者 (林実利(はやしじつかが)、俗名 林喜代八) は 1843年 (天保14年/江戸後期) に坂下村 (岐阜県中津川市坂下) の高部に生まれ、御嶽行者であった父親について御嶽で修行を積んだ。25歳の時に妻と子供二人を残して奈良大峰山、大台ヶ原、釈迦ヶ岳で修行を行い、役小角の弟子となり有栖川宮殿下(ありすがわのみやでんか)から大峰山二代行者実利師の号を賜った事で修験者として全国に名を馳せた。

1872年 (明治5年) に明治政府から修験禁止令が出された後も政府の追撃を逃れて活動を続行。1884年 (明治17年)、無様は死に方はしたくないという決意の元、即身仏となるべく熊野の那智の滝から飛び降りた。入水し命絶えた後においても座禅を組んだままの見事な御姿だったと言われている。この入水後からしばらくは那智の滝よりも実利行者をお参りに来る人の方が多く押しかけたという。

政府の目を恐れてか実利行者の塚はあまり存在せず、那智の滝と出生地の坂下、恵那山落合ルートを開いたと伝わる中津川市落合、そして阿木大野のここくらいしかないといわれている。森の中にひっそり祀られているのも役人の目から隠すためだったのかもしれない。

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