富田村
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2010年9月11日 (土) 02:24時点における最新版
近世は 1601年 (慶長6年/安土桃山) から幕末まで岩村藩に属し助郷は中山道大井宿であった。城山や水晶山、大藪 (大円寺付近) などが藩領であったため、富田・大円寺村民は近隣に持山がなく、その代地が上村の木の実地内にあった。木の実の伐採木は岩村を経て馬で運搬していたが、岩村がこれを阻止したことから争いとなり、1803年 (享和3年/江戸後期) に富田村から木実村薪伐出につき訴訟が出された (岩村町史)。
修験道、弘法信仰、庚申信仰、観音信仰などが盛んに行われこれらの古い念仏堂も残っている。
1897年 (明治30年) 4月1日に飯羽間村と合併し本郷村となる。