岩村城

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2010年8月29日 (日) 03:23時点における版

名所旧跡
岩村城跡
住所岐阜県恵那市岩村町字城山
位置[MAP]N35:21:35.64/E137:27:04.65
標高721m

岩村城(いわむらじょう)は岩村にある中世の城郭跡。別名霧ヶ城とも呼ばれている。高低差150mの険しい山の上にあり日本三大山城の一つとされている。

目次

沿革

現在の岩村城の築城を示す史料は存在しないが、巖邑府誌によれば文明年間 (1469-1486年/室町)遠山景広によって築城され、また景友が城垣を整備したものであろうと推測している。それ以前の景朝の土着 1222年 (貞応元年/鎌倉) から文明年間までは前地頭役から引き継いだ城館が大円寺にあり、現在の山城は見張りや合戦時に籠もるための砦だったのだろう。

現在のような城垣が整備されたのは河尻秀隆、各務元正の時代である。

江戸時代は岩村藩の藩庁、廃藩置県直後の岩村県の県庁として使用されていた。

子城

岩村城から阿木方向

戦国時代に入り遠山氏の勢力が大きくなると木曽から土岐にかけての広範囲に子城・孫城を展開した。甲陽軍鑑などに記されている遠山十八子城が有名だがその他に多くの砦を築いていた。

城名 別名 場所
明知城
飯羽間城
苗木城
阿木城 堀田

岩村城の山頂から直接見えるのは阿木城だけである。また保古山花無山、武並山などにあった狼煙場を見る事が出来る。

写真集

参照

外部リンク

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