岩村城

提供:安岐郷誌
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名所旧跡
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岩村城跡
住所岐阜県恵那市岩村町字城山
位置[MAP]N35:21:35.64/E137:27:04.65
標高721m

岩村城(いわむらじょう)はかつて遠山荘・岩村藩を統治するものが使用していた中世から明治にかけての城郭。別名霧ヶ城とも呼ばれている。

特に岩村の城山に建てられている高低差150mの険しい山の上にあり日本三大山城の一つとされている。一般的に岩村城というとこの城山のものを差す。

目次

歴史

岩村城の築城を示す史料は存在していないが、1222年 (貞応元年/鎌倉)遠山景朝遠山荘に入領した時には平坦部に築かれた荘園統治のための城館あるいは砦のようなもので、その後戦国時代末期の16世紀になって本格的な山城が構築されていったとみられる[1]。比定地としては遠山氏の菩提寺である大円寺や古市場という地名から、大円寺付近に城館があり富田周辺が城下であったと考えられる。

太平記によれば 1337年 (南朝:延元2年/鎌倉、北朝:建武4年)、越前国金ヶ崎城が陥落しw:新田義貞の消息が分からなくなった時に美濃霧ヶ城守遠山三郎が城を捨てて逃れたと記されている (大日本人名辞典)。

巖邑府誌では現在の城は文明年間 (1469-1486年/室町)遠山景広によって築城され、景友が城垣を整備したものであろうと推測している。

現在のような城垣が整備されたのは河尻秀隆各務元正の時代である。

江戸時代は岩村藩の藩庁、廃藩置県直後の岩村県の県庁として使用されていた。

  1. ^ 大日本地名大系 岩村城より。

支城

岩村城から阿木方向

戦国時代に入り遠山氏の勢力が大きくなると木曽から土岐にかけての広範囲に子城・孫城を展開した。甲陽軍鑑などに記されている遠山十八支城が有名だがその他にも多くの砦を築いていた。

岩村城の山頂から直接見えるのは阿木城だけである。また保古山花無山、武並山などにあった狼煙場を見る事が出来る。

写真集

岩村城/写真集参照。

参照

外部リンク

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