巖邑府誌/狭々羅岐

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今は佐々良木(さざらき)とし殿畑、栾峯を併せている。

狭々羅岐今作佐々良木併殿畑栾峯

目次

狭々羅岐

狭々羅岐は竹折の南5〜6里 (約3km) にある[1]。土地は痩せており村々は山間に散在している。この南に殿畑、欒峰が別れている。ここの川は北へ流れ村中を過ぎ竹折の川に合流する。

  1. ^ 民戸150余り。眼垂、深瀬は皆この部落である。栾峰は今の椋実ではない。栾峰30戸余り、殿畑20戸余りが村中に散在している。狭々羅岐の村中に小さな川がある。馬脳(メノウ)石を産する。文政年間に常久寺僧が献じたものは石榴石のようで盆翫とするのに良い。

○狭々羅岐在竹折南五六里土田礟瘠邑
村散在山間分其南曰殿畑曰欒峰其水北
流周過邑中合于竹折

※1 民戸一百五十餘眼垂深瀬皆部落也栾峰今作椋実非是栾峰三十餘戸殿畑二十餘戸散在邑中 狭々羅岐邑中有小水産馬腦石文政中常久寺僧献形如石榴石堪為盆翫

武並庿

武並庿は村中にある。南陽山神護寺がこれを祭っている。密教 (天台宗) である。僧映が開基と伝えられるが何時の時代の人かは分かっていない。

○武並庿在邑中南陽山神護寺奉其祀密
宗也以僧映傳為開基未審為何時人也

諏訪社

諏訪社は深瀬部落にある。

○諏訪社在深瀬村落

龍游山常久寺

龍游山常久寺は村中にある。元和元年 (1615年/江戸初期) に建立し洞家の黒衣僧を置いている。

○龍游山常久寺在邑中元和元年建之
置洞家黒衣僧

欒峰八幡廟

欒峰八幡廟は山の林の中にある。傍らに古城跡[MAP] (椋実城) がある。言い伝えによれば遠山右馬允なる者が守っていたという。これもまた岩村子城であろう (甲陽史を調べると遠山右馬允なるものが武田氏の麾下(きか) (旗本、家来) に居る。これと同じ者なのかどうかは分かっていない)。訛りで圃は畑ともなる。殿畑というのはその田畝であろう (栾峰、殿畑は飯狭の西にあり)。

○欒峰八幡廟在山林中傍有故城墟傳言
遠山右馬允者守焉蓋亦巖邑子城也按甲斐史
遠山右馬允者在武田氏麾下未審異同
國俗呼圃為畑名殿畑
者蓋其田畝也栾峰殿畑在飯狭西



以上十余の村は皆恵那郡に属している。城府に領せられて府の西北に位置する。今これらを併せて九部を成すという。

 以上十餘村皆属于惠那郡領於城府而
 在府之西北今茲以類統之合為九部云


古文書の翻訳: このページは巖邑府誌を現代語に翻訳したものです。より正確な表現を知るためには原文を参照してください。文中の(小さな薄い文字)は訳註を表しています。

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