広岡分校

提供:安岐郷誌
2009年6月21日 (日) 03:15時点におけるTorao (トーク | 投稿記録)による版

移動: 案内, 検索

広岡分校(ひろおかぶんこう)[MAP]は北側の農免橋下にあった飯沼・広岡の分校。飯沼側から大野橋を越えた右手に現在でもその石垣が残っている。

明治の学制が敷かれる前は、飯沼村では禅林寺で、広岡では新杜でそれぞれ寺子屋のような事を行っていた。何時しか飯沼と広岡とで一緒にやろまいかという事になり、その村境となる飯沼川 (松沢川) に学校を建てた。開校は阿木の稽徴義校が開校する一年前の事である。後にこの学校は広岡分校と呼ばれるようになった。

広岡分校がいつまで使用されたかは不明だが[要調査]、1911年 (明治44年) 測図の地図にも"文"と記されている事から、少なくとも明治の終わりまでは使用されていた事が分かる。

写真集

四方山話

  • 角川日本地名大辞典[1]によれば 1881年 (明治14年) 開校と書かれている。ただし新風義校で記述している通りこの内容は疑わしい。
  1. ^ 角川日本地名大辞典 21 岐阜県, 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三, 1980年(昭和55年), 株式会社角川書店, ISBN 978-4040012100

参照

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
Sponsored Link
ツールボックス
Sponsored Link