鷹見家
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鷹見家文書によれば元は青野に住んでいたが、慶安の頃 (1648-1651年/江戸初期) に鷹見弥兵次が開拓のため広岡に移り住んだという。
広岡鷹見家の多くは岩村の浄光寺 (真宗大谷派) の檀家である。巖邑府誌によれば、浄光寺は 1563年 (永禄6年/戦国) 三河一向一揆 の折に上宮寺に付いた内田氏の子が上州で開山し、1601年 (慶長6年/安土桃山) の松平氏転封に付いて岩村に移ったものである。
また現在の愛知県豊田市上高町古白に鷹見城という城墟がある。1431年 (永享3年/室町) 鷹見三郎久吉という者が守っていたという。これらのことから考えると、三河一向一揆に参加した鷹見家傍系が国を追われ青野にたどり着いて住み着き、後に浄光寺が移ってその檀家となったと考えられている。
鷹見姓
姓氏家系大辭典[1]
鷹見 タカミ 前後數條參照。田原藩の家老に此の氏あり、もと三河より起る。鷹見正長 (爽鳩)、その孫星皐等、學名高し。又攝津國兵庫の名族に存す、繪屋と號す。祖先は大西と云ふ武士にて、筑前黑田侯の本陣たりき。内、爽鳩は、もと石河氏、同藩鷹見定重の養子となりしなりと。
- ^ 姓氏家系大辭典, 太田亮, 昭和十八年, 磯部甲陽堂