恵那山

提供:安岐郷誌
(版間での差分)
移動: 案内, 検索
5行: 5行:
 
|標高=2,191m
 
|標高=2,191m
 
}}
 
}}
{{ruby|'''恵那山'''|えなさん}}は[[川上]]と長野県境に位置する美濃の最高峰。別の呼び名に:
+
{{ruby|'''恵那山'''|えなさん}}は[[川上]]と長野県境に位置する美濃の最高峰。他の呼び名に
  
 
* 恵那の由来になったとも言われる[[天照大神の胞衣伝説|胞衣伝説]]から胞衣山
 
* 恵那の由来になったとも言われる[[天照大神の胞衣伝説|胞衣伝説]]から胞衣山
12行: 12行:
 
* 長野県側の呼び名である野熊山
 
* 長野県側の呼び名である野熊山
  
などが見られる。
+
などの呼び名を持つ。
  
 
== 沿革 ==
 
== 沿革 ==
奈良時代に[[w:役小角|役小角]]が開山したとも伝わり、江戸時代から昭和前半にかけて修験道である恵那講 (恵那大権現) の信仰登山の山として栄えていた。
+
奈良時代に[[w:役小角|役小角]]が開山したとも伝わり、山頂にはいつの頃からか修験道に関係の深い7社9柱が祀られている。
  
下広岡の[[四ツ辻の燈籠場]]の燈籠は
+
江戸時代の中期から後期にかけて全国で修験道や信仰登山が流行し、恵那山でも第一次恵那講ブームが起きた。{{年号|1859}} に建てられた[[四ツ辻の燈籠場|下広岡の常夜灯]]にも恵那大権現の名が刻まれている。
  
{{年号|1902}}に日本国有鉄道<strong>中津駅</strong>が開業したことによって恵那講ブームが起きた。
+
明治に入ると政府から修験禁止令が出され一度は衰退するが、{{年号|1902}} に日本国有鉄道<strong>中津駅</strong>が開業したことによって第二次恵那講ブームが起きた。{{年号|1903}}に W.ウェストンが登山し「日本アルプスの登山と探検」に紹介している。島崎藤村の「夜明け前」の舞台でもある。
 
+
{{年号|1903}}に W.ウェストンが登山し「日本アルプスの登山と探検」に紹介している。島崎藤村の「夜明け前」の舞台でもある。
+
  
 
{{年号|1974}} 山腹に中央自動車道の恵那山トンネルが完成。
 
{{年号|1974}} 山腹に中央自動車道の恵那山トンネルが完成。
36行: 34行:
  
 
== 登山 ==
 
== 登山 ==
登山路は岐阜県側に黒井沢より、長野県側に阿智村よりのものがあり、山小屋は山頂と神坂峠、富士見台にある。
+
登山路は岐阜県側に黒井沢より、長野県側に阿智村よりのものがあり、山小屋は山頂と[[神坂峠]]、富士見台にある。
 
+
<!--
+
林 実利(はやしじつかが)
+
修験者。天保十四年(一八四三)に坂下の高部で生まれ早くから御嶽行者であった父について御嶽で修行を積んだ。二十五歳の一時、妻と子ども二人を残して、奈良の大峰山の修験道にはいり、三年間修業されると、今度は、二十七歳から二十九歳の三年間、大台ヶ原に移り修業、役行者(えんのぎょうじゃ・山伏しの先祖)の弟子にしてもらい、その後、釈迦ヶ岳で修業中、有栖川宮殿下から「大峰山二代行者実利師」の号を賜わりました。修業を終えられ、坂下へもどり、地元で活動し明治13年(1880)に落合からの恵那山登山道を開く。再び、大峰山修業を思いたてられ、修業が極点に達し、無様な死にかたはしたくないという決意のもとに、明治十七年四月二十一日、那智の滝に入水された。
+
-->
+
  
 
== 参照 ==
 
== 参照 ==
54行: 47行:
  
 
[[Category:川上|えなさん]]
 
[[Category:川上|えなさん]]
[[Category:山陵|えなさん]]
+
[[Category:山稜|えなさん]]

2009年7月1日 (水) 02:35時点における版

山陵
180px
恵那山
位置N35:26:36.31, E137:35:49.20[MAP]
標高2,191m

恵那山(えなさん)川上と長野県境に位置する美濃の最高峰。他の呼び名に

  • 恵那の由来になったとも言われる胞衣伝説から胞衣山
  • 船をひっくり返した形に見えることから船覆山(ふなぶせやま)
  • 恵那ヶ嶽(えながたけ)の変化系である横長岳
  • 長野県側の呼び名である野熊山

などの呼び名を持つ。

目次

沿革

奈良時代に役小角が開山したとも伝わり、山頂にはいつの頃からか修験道に関係の深い7社9柱が祀られている。

江戸時代の中期から後期にかけて全国で修験道や信仰登山が流行し、恵那山でも第一次恵那講ブームが起きた。1859年 (安政6年/江戸後期) に建てられた下広岡の常夜灯にも恵那大権現の名が刻まれている。

明治に入ると政府から修験禁止令が出され一度は衰退するが、1902年 (明治35年) に日本国有鉄道中津駅が開業したことによって第二次恵那講ブームが起きた。1903年 (明治36年)に W.ウェストンが登山し「日本アルプスの登山と探検」に紹介している。島崎藤村の「夜明け前」の舞台でもある。

1974年 (昭和49年) 山腹に中央自動車道の恵那山トンネルが完成。

山頂には神明社、南東500mに一等三角点と恵那神社奥宮がある。 山頂には伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀った恵那神社本社など 7 社があり

山名は天照大神の胞衣伝説に由来すると言われている。

自然

山体の大部分が花崗岩だが山頂付近に石英斑岩と古生層の砂岩が分布する。年間降水量が多く崩落地が多い。

暖帯・温帯の境界にあたるため植物の種類は極めて多い。本州中部の亜高山帯林の西限でもあり、コメツガ、シラベ、アオモリトドマツなどが見られる。山頂一帯は胞山(えなさん)県立自然公園に指定されている。過去には山頂付近のヒノキが神宮式年遷宮の御用材として納められていた。

登山

登山路は岐阜県側に黒井沢より、長野県側に阿智村よりのものがあり、山小屋は山頂と神坂峠、富士見台にある。

参照

参考文献

  • コンサイス日本山名辞典, 徳久球雄, 1979年(昭和54年), 株式会社三省堂
  • 三省堂日本山名事典, 徳久球雄・石田光造・竹内正, 2004年(平成16年), 株式会社三省堂
個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
Sponsored Link
ツールボックス
Sponsored Link