明知鉄道
提供:安岐郷誌
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開業前夜
1985年 (昭和60年11月16日)、国鉄明知線廃止に伴い明知鉄道株式会社が営業を開始。国鉄民営化で全国の支線が第三セクター化した時期という事もあり、明知鉄道を含めそれらの多くがレールバスという位置づけでコスト削減を目標としていた。国鉄時代と大きく異なったのは以下の点。
- 中央線乗り入れ廃止 ─ 国鉄時代は便を選べば中津川駅まで乗り換えなしで行けたが、すべてが恵那駅折り返しとなった。また中央線との接続軌道も撤去された。代替措置として、瑞浪-中津川間の普通列車が設定されたが、その後のダイヤ改正のなかで廃止された。
- ワンマン運転 ─ 運転士が料金徴収も兼務することで車掌が廃止された。新車両では乗降車口に整理券発行機と料金箱が設置された。
- 阿木駅の無人化 ─ ダイヤ調整によって阿木駅での閉塞 (すれ違い) を廃止し無人駅となった。同時に阿木駅上り側ホームと軌道、ポイント切り替え機、腕木式信号機などが廃止された。
運賃は値上げされたが、本数は1往復増え、営業係数は相当程度改善されたが、未だに黒字化は達成されていない。ワンマン化も晩年の国鉄バスが既にその方式であったため特に混乱はなかった。国鉄時代の切符と違って、薄い番号が印字された味気ない整理券が悲しかった事を覚えている。
1991年 (平成3年10月28日)、飯沼の市ノ坪に日本一の急勾配となる飯沼駅が開業する。