月見堂
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{{ruby|'''月見堂'''|つきみどう}}<map name="月見堂" lat="35.459454" lon="137.666611"/>は長野県下伊那郡阿智村の園原にある薬師堂。 | {{ruby|'''月見堂'''|つきみどう}}<map name="月見堂" lat="35.459454" lon="137.666611"/>は長野県下伊那郡阿智村の園原にある薬師堂。 | ||
− | {{年号| | + | {{年号|815}} に比叡山延暦寺の開祖である{{ruby|伝教大師|でんぎょうたいし}} ([[w:最澄|最澄]]) が東方巡化で[[東山道]]を通った折、[[神坂峠]]のあまりの険しさに驚き、旅人を救うために美濃側に[[広済院]]、信濃側に{{ruby|'''広拯院'''|こうじょういん}}という[[w:布施屋|布施屋]] (お救い小屋) を建てたと<strong>叡山大師伝</strong>に記されている。月見堂はこの広拯院の跡と云われている。 |
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2009年8月22日 (土) 03:51時点における版
815年 (弘仁6年/平安) に比叡山延暦寺の開祖である
案内板
広拯 院月見堂この月見道は伝教大師 (最澄) が建てた広拯院跡地ともいわれています。
伝教大師は東国への布教を計画して弘仁八年 (八一七年) 東山道を下りました。美濃の坂本から神坂峠を越えて阿智駅までの道程は予想以上の困難なものであることを体験し、しかもその道中の長いのに難渋し、峠の両側に
広済 ・広拯 の二つの院 (布施屋) を設けて旅人の便に供しました。月見堂は通称で、本来は薬師堂であり、薬師如来をまつってあります。眺望がよく、かつて文人等がここで中秋の名月を賞した記録が残っています。
阿智村観光協会
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写真集
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2009/08 護摩堂。
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2009/08 鐘突堂。
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