木曽路
提供:安岐郷誌
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{{ruby|'''[[w:木曾谷|木曽路]]'''|きそじ}}は木曾谷を通って中津川と塩尻を結ぶ中世から現代にかけての主要道。古くは<strong>吉蘇道</strong>とも書く。[[中山道]]の一部であり現在の[[国道19号]]が相当する。 | {{ruby|'''[[w:木曾谷|木曽路]]'''|きそじ}}は木曾谷を通って中津川と塩尻を結ぶ中世から現代にかけての主要道。古くは<strong>吉蘇道</strong>とも書く。[[中山道]]の一部であり現在の[[国道19号]]が相当する。 | ||
[[w:続日本紀|続日本紀]]によれば {{年号|702}} に[[東山道]][[神坂峠]]越えの補助道として{{ruby|<strong>岐蘇山道</strong>|きそのやまみち}}が、{{年号|713}} に{{ruby|<strong>吉蘇路</strong>|きそのみち}}が開通したとされている。ただしこれらの経路は分かっておらず鳥居峠までは通っていなかったと言われている。 | [[w:続日本紀|続日本紀]]によれば {{年号|702}} に[[東山道]][[神坂峠]]越えの補助道として{{ruby|<strong>岐蘇山道</strong>|きそのやまみち}}が、{{年号|713}} に{{ruby|<strong>吉蘇路</strong>|きそのみち}}が開通したとされている。ただしこれらの経路は分かっておらず鳥居峠までは通っていなかったと言われている。 | ||
− | 吉蘇路は戦国時代の頃には整備も進んで東山道に代わる主要道として使われ始め、江戸時代には[[中山道]] | + | 吉蘇路は戦国時代の頃には整備も進んで東山道に代わる主要道として使われ始め、江戸時代には[[中山道]]に組み込まれた。 |
==関連項目== | ==関連項目== |
2009年12月9日 (水) 23:59時点における版
続日本紀によれば 702年 (大宝2年/飛鳥) に東山道神坂峠越えの補助道として
吉蘇路は戦国時代の頃には整備も進んで東山道に代わる主要道として使われ始め、江戸時代には中山道に組み込まれた。