正家廃寺跡

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2010年8月29日 (日) 03:33時点における版

史跡
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正家廃寺跡
住所岐阜県恵那市長島町正家字寺平
位置[MAP]N35:26:17.19/E137:25:00.30
文化財国指定史跡

正家廃寺跡(しょうげはいでらあと)は 8 世記前半 (奈良) に建立され 9 世記後半 (平安初期) に火災で焼失した恵那市長島町正家の寺院遺跡。東北に金堂と塔、北に講堂という法隆寺式の伽藍配置をとった古代様式の寺院である。1997年 (平成9年) 7月の市教育委員会調査で金堂の礎石の配置が法隆寺の国宝玉虫厨子と同じ構造であることが分かり、全国でも例を見ないものとして注目を集めた。

目次

写真集

文献散策

濃飛兩國通史

濃飛兩國通史の「上巻第三十一章 応仁文明の乱 」では長国寺の前々身で応仁の乱 (室町) で兵火に遭ったと伝えられている。

恵那郡長島町字正家に字寺平という、一高薹あり。地勢高燥にして大井長嶋東野の平野を俯観すべし。ここに廃寺址あり、塔の土壇礎石並に鐘楼址等の遺蹟より案ずるに大刹たりし如し。傳へ云、これ眞言古寺にして今の禅宗長國寺の前々身にして応仁乱時兵火に掛りて災するものなりといふ。

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