水晶山

提供:安岐郷誌
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山稜
水晶山
位置N35:21:30.29, E137:28:13.35[MAP]
標高958m

水晶山(すいしょうやま)岩村城の裏手にあたる山。岩村城の戦いにおいて河尻鎮吉が陣を敷き秋山らの突破を防いだ。

由緒と伝承

明治時代の大日本地名辞書[1]には以下のように書かれている。

水晶(スヰシヤウ)

岩村の東にして、其山脈は恵那岳より東北木曽に連なる、此山は六方石を産するが故に特名あり、又此辺に貝介の化石を産すと、第三紀層の構成なれば也。○天正三年十一月、岩村城内は粮米尽果てれば、秋山、座光寺初め城兵等は、水精山の柵を破り、切抜けんとしけれども成らず、二千余人討死して落城す。○俚人談伝、御岳の麓に月吉村、日吉村といふあり、此所秋に至れば夜毎に降るものあり、長四寸ばかり、螺貝のごとく、屈曲して色薄白き石なり、これを月の糞という、又岩村町の辺に、星糞という石あり、春田耕すころ、土中より掘出すなり、色うす鼠にして、性は水晶石に似たり、大きなるは稀なり、燧石の欠たる程の石の角だちたるなり。

水精は水晶の事。美濃明細誌[../../index.xhtml#美濃明細誌*]でも「水精山(岩村近)」と書かれている。

六方石とはマグマが冷える時に形成される 6 角形の棒状の玄武岩 (柱状節理) だが、ここでは石英の水晶柱を指している。周囲には水晶山より高く名を持たない山も多いなかで、水晶が出るために特に水晶山という名前が付いたと書かれている。

秋山、座光寺とはそれぞれ武田信玄 (落城当時は勝頼) の家臣である秋山伯耆守信友,座光寺左近の事。織田と武田による岩村城の戦いでは、織田軍に包囲され援軍も望めないと判断した秋山信友は城の裏山にあたる水晶山の突破を試みて失敗。2,000 の兵を失い、後に控えていた遠山方も出るに出られなかったという。この後、織田方との和議により開城するが秋山や座光寺らは長良川で処刑された。

同書には日吉郷、月吉の項もあり、その内容から現在の瑞浪市の北西部、日吉町[MAP]と明世町月吉[MAP]を指していると思われる。麓の村というには少々遠すぎることから、同じ水晶山でも瑞浪市釜戸町の竜吟峡にある水晶山[MAP]か、その周辺の山と間違えているのだろう。

ちなみにこの月の糞 (別名月のおさがり) は瑞浪層群から出土するビカリア (巻き貝) の中がケイ化して渦巻き状のオパールとなったもの。他にも日の糞 (同じく巻き貝状のメノウ)、石蚕 (自然に磨かれた土岐石?)、石蛤 (二枚貝の化石) などが出土し、日吉村・月吉村では日の糞と月の糞をご神体として祀り村名の由来にもなっている。

星糞についても月の糞・日の糞と同類のものかと思ったが、どうやらこれは黒曜石を指しているようである。薄いねずみ色で水晶に似ていて、火打ち石 (チャート) の欠けたような角立ちというのは黒曜石の表現だが、この周辺では黒曜石は産出しない。

長野県の諏訪湖の先に星糞峠[MAP]と呼ばれる縄文時代の黒曜石の産地がある。岩村から出土する黒曜石が星糞峠のものかは分からないが、星糞という産出地名がそのままが石の名前として定着してたようである。いつの時代かの博学な者が星糞峠という名を調べたのか、はたまた縄文時代から言い伝えられたのか。ちなみに糞には「屑」「ちりばめる」という意味もあり、星糞は則ち星屑の意味と言われている。

  1. ^ 増補 大日本地名辞書 第五巻 北国・東国, 吉田東伍, 1902年(明治35年), 冨山房

参照

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