浄光寺
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− | '''遍照山'''{{ruby|'''浄光寺'''|じょうこうじ}}<map name="浄光寺" lat="35.364351" lon="137.442056"/>は岩村の本町にある[[w:浄土真宗|浄土真宗]][[w:本願寺|大谷派]] (一向宗) | + | '''遍照山'''{{ruby|'''浄光寺'''|じょうこうじ}}<map name="浄光寺" lat="35.364351" lon="137.442056"/>は岩村の本町にある[[w:浄土真宗|浄土真宗]][[w:本願寺|大谷派]] (一向宗) の寺。恵那市有形文化財。 |
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開祖の{{ruby|内田祐正|うちだすけまさ}}は三河牛窪 {{note|(愛知県豊川市牛久保町)}} の人である。内田氏は上宮寺の檀家であったため[[w:三河一向一揆|三河一向一揆]]に参加したが、この一揆で祐正は親兄弟を亡くした。たった数歳で身寄りを失った祐正を哀れんだ上宮寺の僧が引き取って育てることとなった。 | 開祖の{{ruby|内田祐正|うちだすけまさ}}は三河牛窪 {{note|(愛知県豊川市牛久保町)}} の人である。内田氏は上宮寺の檀家であったため[[w:三河一向一揆|三河一向一揆]]に参加したが、この一揆で祐正は親兄弟を亡くした。たった数歳で身寄りを失った祐正を哀れんだ上宮寺の僧が引き取って育てることとなった。 | ||
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+ | その後宝永二年 (一七〇五) と明和二年 (一七六五) の二回火災に遭い (類焼) その度に再建した。現在の本堂は明和六年 (一七六九) 土蔵造りにて再建し文政四年 (一八二一) に瓦葺とした建造物で日本に現存するものとしては極めて数少ない。 | ||
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+ | <li>顕如上人より賜った阿弥陀如来御影画軸</li> | ||
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+ | <div class="smaller right">遍照山浄光寺<br/>岩村町観光協会</div> | ||
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+ | '''東濃恵那郡岩邨治下相原浄光寺靈遂碑''' | ||
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2010年2月19日 (金) 17:01時点における版
遍照山
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歴史
開祖の
祐正は 19 歳で仏門に入った。当時上野国那波郡 (群馬県伊勢崎市) に居た松平家乗に気に入られそこに浄光寺を建てたが、家乗が岩村藩に転封されたのに従って 1601年 (慶長6年/安土桃山) に浄光寺を岩村へ移した。家乗が亡くなり乗寿が浜松へ転封された後も祐正は岩村に留まったが、祐正が亡くなると子の弥右衛門は今井姓を名乗り乗寿に従って浜松へ移っていった。
寺は元々岩村の北部にあったが 1649年 (慶安2年/江戸初期) に現在の場所へ移された。現在の建物は火災により 1769年 (明和6年/江戸中期) に再建されたものである。
現在住職は千葉におり正月や盆の度に車で通って法事などを執り行っている。
由緒書き
遍照山浄光寺
開祖は三河の人内田祐正上人で真宗大谷派即ち東本願寺派である。
慶長六年 (一六〇一) 岩村城主松平家乗の時、熊洞に県立したが慶安二年 (一六四九) 相原の現在地へ移転した。
その後宝永二年 (一七〇五) と明和二年 (一七六五) の二回火災に遭い (類焼) その度に再建した。現在の本堂は明和六年 (一七六九) 土蔵造りにて再建し文政四年 (一八二一) に瓦葺とした建造物で日本に現存するものとしては極めて数少ない。
◎寺宝
- 顕如上人より賜った阿弥陀如来御影画軸
- 蓮如上人筆六字名号軸
- 宗祖見真大師 (親鸞上人) 御影
- 三朝高祖御影
- 上宮太子御影
- 宗祖見真大師御絵伝
- 見真大師自作の木像
- 徳川幕府十二代・十三代将軍の三ツ葉葵紋章入り位牌
- 徳川幕府大奥の老女「桃光院殿仙寶池玉潤大法尼」の位牌
- 別棟一切経経土蔵は安永八年 (一七七九) の建立で寺の守護神が安置してある。
- 境内には珍しい菩提樹がある。
- 芭蕉の句碑がある。
遍照山浄光寺
岩村町観光協会90x90px
例日
東濃恵那郡岩邨治下相原浄光寺靈遂碑
十八 ─
祐正 ─
十三年上人曰汝幼不善 ─
上人遂有戰井則當剏一宇以 ─
写真集
- Iwamura jokoji 03.jpg
2009/08 置屋根式土蔵造の本堂。
- Iwamura jokoji 04.jpg
2009/08
- Iwamura jokoji 05.jpg
2009/08