督ノ城

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'''督ノ城跡'''は字恵下の奥の小高い山にある。諸書に中津川城などという名が見られるが、この他に城趾はないことからこれは督ノ城の別名である。城主及び廃城の時代は分かっていない。市岡系譜を調べてみると和銅年間 {{note|(708-715年/飛鳥-奈良)}} に勅命を承り、中山道警備のために[[恵下郷|恵下]]庄前山に通行の便宜をもって要害を構え悪徒を戒めるとあることから、これは監督の役所で後に督ノ城と称したものである。古の[[神坂峠|神の御坂路]]はこの督ノ城の麓にあり通行の要害としては最適の地である。
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'''督ノ城跡'''は字恵下の奥の小高い山にある。諸書に中津川城などという名が見られるが、この他に城趾はないことからこれは督ノ城の別名である。城主及び廃城の時代は分かっていない。市岡系譜を調べてみると和銅年間 {{note|(708-715年/飛鳥-奈良)}} に勅命を承り、中山道警備のために恵下庄前山に通行の便宜をもって要害を構え悪徒を戒めるとあることから、これは監督の役所で後に督ノ城と称したものである。古の[[神坂峠|神の御坂路]]はこの督ノ城の麓にあり通行の要害としては最適の地である。
 
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2010年8月31日 (火) 06:35時点における版

督ノ城(とくのじょう)[MAP] (徳ノ城、中津川城、中津川砦) は前山の中腹に築かれていた中世の砦跡。恵下松田から前山へ向かう登山道の途中にある。

文献

惠那神社誌に詳しく書かれている。

督ノ城趾  は字恵下の奥にありて小高き山なり、中津川城などゝ諸書に見ゆれど、此の外に城の跡有ざれば督ノ城の別名なるべし、城主及廢城時代等據る處なし、案ずるに草創は市岡系譜に、和銅年間勅命を蒙り、中山道警固の為め繪下庄前山に路次の便宜に隨て要害を構へ惡徒を戒むとあれば、是れ監督の役所にして後に督ノ城と稱せしなるべし、古の神の御坂路は此の督ノ城の麓なれば、路次の要害としては、最適當の地なればなり。

督ノ城跡は字恵下の奥の小高い山にある。諸書に中津川城などという名が見られるが、この他に城趾はないことからこれは督ノ城の別名である。城主及び廃城の時代は分かっていない。市岡系譜を調べてみると和銅年間 (708-715年/飛鳥-奈良) に勅命を承り、中山道警備のために恵下庄前山に通行の便宜をもって要害を構え悪徒を戒めるとあることから、これは監督の役所で後に督ノ城と称したものである。古の神の御坂路はこの督ノ城の麓にあり通行の要害としては最適の地である。

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