経塚 (富田)

提供:安岐郷誌
移動: 案内, 検索

吉田川経塚(よしだがわきょうづか)[MAP]は南富の吉田川近くにある塚。田んぼの中に周囲60m、高さ4mの巨大な塚がありその上に五輪塔が建てられている。南無阿弥陀仏の字が刻まれているが、経緯や年代、宗派、建立者などは不明である。

枝垂れ桜

塚の横には大きな枝垂れ桜が立っており毎年春に美しい花を咲かせている。

武兼霊神

武兼霊神の碑は御嶽講の信者である吉村武兼氏を祀っている石碑である。

吉村武兼 (通称兼次郎) は 1869年 (明治2年) 2年3月25日に信州下伊那郡根羽村で生まれた。旧姓は天応の乱 (938-947年/平安) における功臣片桐主膳守源秀忠から出た片桐である。20歳で御嶽教に投じ 1894年 (明治27年) ここ濃州恵那郡本郷村富田に移り吉村姓を称する。同教に益々精進し云々


吉村武兼行者通稱兼次郎明治二年三月廿五日生於信州下伊那郡根羽村元姓片桐氏出於天慶之乱動王功臣片桐主膳守源秀忠也弱冠目投御嶽教同廿七年移于濃州恵那郡本郷村富田而稱吉村姓益精進同教而不息其益世扶道盖匪鮮少性怙澹寡欲敝衣非食信徒多聚其門今玆齢達還暦所授御山先達稱號信徒仰慕不己有志胥謀欲傳樹碑而其行蹟小傳于後世仍爾云焉

昭和四年十一月 日比英雄撰 内田祐徹書 西尾與吉刻

追記 此地當建碑永代無償貸與所賛此意所者也

90x90px
資料撮影 2009/08 [1]

外部リンク

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
Sponsored Link
ツールボックス
Sponsored Link