萬記録飯沼村/安政記

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(天狗党之乱)
 
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{{年号|1863}} 天誅組之乱、{{年号|1864}} 天狗党之乱で領内に配布された御触書の写し。
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== 天誅組之乱 ==
 
== 天誅組之乱 ==
 
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1863年 (文久3年/江戸後期) 天誅組之乱、1864年 (元治元年/江戸後期) 天狗党之乱で領内に配布された御触書の写し。

[編集] 天誅組之乱

文久三年八月 御公儀様御触書 写
八月二十八日 井上河内守殿御渡候 候御書付 写

大目付之中山大納言嫡子の由 浪士相交り六十人ばかり具足着用、捨身槍、長刀を携え、河州狭山北条相模守陣屋 其の外にて勅命を偽り、武具、馬具等借り受けの由 相聞之候間。領主に於ても夫々厳重に手配しき、右様乱妨者見掛け次第早速召し捕らえ 月番の老中之申し聞かされるべく候。時宜(じき)に寄候は切捨てにしきし候共苦じからす候。右の趣 万石位上の面々之洩さず早々相触さるべく候。

八月大目付之。此の度、上方筋客昜ならず 事変之れ有。人心動揺の折柄 右残党は勿論、其の余り心得違いの者之れ有り。此の上 何様の事変を企て申すべく義難しくばかり候間。万一の節、銘々領分の固めは勿論、他領とも申し合せ相互に致し応援、(かつ)又、最寄、御所、其の外寺社料小給所等 警護向き手薄の場所は待たず、差図時冝次第出勢致し、取締方 手抜き之れ無き様、兼て心け置き候様、致さるべく様候。右の趣、中国、九州領分有 万石以上の面々を相触さるべく。

右の通り御触二通、文久三年九月七日巳刻出、同十二日酉上刻 当村へ着き 例の如く奥書連印証文差上る外に為村御役所に従ひ仰出され御書付写

急度申触候。別紙御書付面之通万一浪人及乱妨候はゞ相防き、手に余り候節は切捨候ても苦しからず候。平日浪士等怪者往還通行致し候はゞ其の様子(とく)と見極め季細直様(すぐさま)致すべく注進候事。

  • 村々往還 村境に自身番相建て 昼夜番を致し、浪人共相改め 怪しき者止宿(ししゅく)致させ申すまじき事。
  • 在町に浪人並びに出所相分らず、旅人 留申すまじき候事。
  • 岩村町上下木戸夜中番之者、附け置き五ツ時限り〆切り 無拠者は通り致さず事。
  • 鉄砲は猟師願筒の外 所持相成ず候処。此度、公儀御書面之通り 容易ならず時節に付、村人共 非常の為 用意 鉄砲所持致し候 義苦しからず候間。所持致し候者は御代官迄届書出し申すべき事。
  • 乱妨者用意の為 竹槍心掛け置きべく申し事。

右の通り仰出され候間。急度相守り為し申すべく候。之れ依り此の廻状 披見の上、村下に庄屋 印形仕るべく候。若し庄屋他行き候は、組頭の内印形滞り無く致し 早々相廻し、留り村より紋次郎所を相返すべく候。

癸亥九月七日巳の刻 同十二日酉上刻着 郡奉行書(印)

[編集] 天狗党之乱

元治元年 上方並びに国々騒がしき。同七月 岩村御役所仰出され御書付 写

急度申触候。浪人共 乱妨候はゞ相防ぎ若し手に余り候はゞ切捨候へ共 苦しからず候條。去る亥九月中 委細[1]申し触れ置き候。然る処、此の度 野州大平山、常州筑波山へ大人数集まり三十人位も横行致し 悪党者も加り 金銭押し借り等致し候に付、不法の者之れ有り候はゞ搦捕(からめとり)又は討取り候とも苦しからず旨 公儀に従ひ御触書出し候。且又 京都にて兎角(とにかく)騒がしき趣相聞候。右に付、村々心得

  • 猟師並びに追々鉄砲所持候段、届出候者、平常玉薬、火縄油断無く 心掛置くべく申す事。
  • 銘々竹槍心掛けべく申す事。
  • 村中の者 之は差図致し候者 之れ無き候ては不行届候間。苗字、帯刀御免の者は勿論、村々庄屋、組頭並びに苗字(ばか)り御免の者共、頭五候て小前[2]の者共 夫々手配差引致すべき事。
  • 右 変事の節は庄屋、組頭並びに苗字御免の者、何れも帯刀御免に付兼て其の心得罷り在るべき候。
  • 村により苗字御免の者之れ無く、且 村役人も少き村は、平常役人代りも相勤め 五人組等の内身柄之者は、小前差引き致すべく世話 右役人代等は脇差ばかり用ひべく申す事。
  • 変事の節 板木等相図にて俄に小前出合候共、混雑候に付 苗字帯刀の者、庄屋 組頭並びに苗字ばかり御免の者 一人に付き小前何人づつ其々の手に附、指図受け候訳に平常小前組合の者相定め 混雑致さず様手筈極置(てはずきわめおき)申すべき事。
  • 夜中は浪人と村人と混雑にて、村人は昼夜に限らず銘々村人と分り候様 袖印用ふべく申し候。
  • 平常他、領内遠方にても浪人集り候歟。乱妨の趣、様子承り次第 委細早々 爰元(ここもと)へ注進致すべき事。
  • 浪人共、村内人家へ集い 無心拝借等申し掛け候節、板木或は早鐘等にて相図致し、村中罷出 差押候歟、村内追掛け候様致すべく候。若し手に余り候はゞ討取り候とも苦しからず候。右は出火同様近村にも助合ひ申すべく事。
    但 鉄砲は村人へ打掛け申さず様、矢光解能しく心を付申すべく事。
  • 村方役元へ浪人五人或は十人等集り旅篭代払ひ候間。宿借り候様申し候節は、地頭役所より浪士の者決して止宿無用の旨 厳しく申付け之れ有り候に付、断候殿用述べ候。押て宿ねたり不法申し掛け候節は 相図にて村中出合申すべく候。
  • 浪人少人数に候はゞ村内にて前文の通り取り計らい出来申すべく候。百人以上も参り御城迄押し寄せ候体に候はゞ早速御注進致し村人大勢遠巻に致し先々見送り候上、指図受くべき事。

右の通り申し触れ候間。苗字帯刀御免の者、庄屋組頭並びに苗字ばかり御免の者、能能く相心得。此の書面写し取り小前の者之入念に申し付、異変の節手配。油断無き様兼て心掛置き申すべき候。

甲子七月 郡奉行所(印)
  1. ^ 細かく詳しいこと。
  2. ^ 田畑や家を有するが特別な家格・権利を持たない百姓。

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右の通り仰出され七月十四日、大野村より御廻状参り拝見奉り写取り村方一同申し渡し畏き奉り 則ち備へ定め左の通り

[編集] △壱番備

─飯沼村 的井木綿さらし
三尺 上に一之字 下に飯沼村
飯沼一 袖印二寸四角
厚紙拵え一の字
両肩に飯沼と
一字但両面
百姓代稲川市右衛門歩金吉
郷組鈴木伊兵衛鉄砲
 〃鈴木啓助
 〃鈴木増右衛門
五人組頭友右衛門
 〃 代宇右衛門
周吉宇平治平右衛門
市平藤治清助
友助利兵衛源右衛門
武兵衛〆て十九人

[編集] △弐番備

的井木綿さらし
三尺 上に二の字 下に飯沼村
袖印二寸四角
厚紙拵二の字
両肩に飯之字と沼と云う字但し両面

組頭宮地桂治歩召使源六
郷組稲川吉兵衛鉄砲
 〃鷹見弥右衛門
五人組頭金丁
同断新録
 〃 代藤四郎
曾吉定右衛門新吉
嘉兵衛万治亀蔵
甚右衛門源左衛門助吉
佐助清蔵宇吉
吉三郎〆て十九人

[編集] △参番備

的井前同断にて上に三の字 下に飯沼村
袖印前同断三の字也

組頭鈴木助治歩召使鎌吉
郷組鈴木武平鉄砲
 〃原長右衛門
五人組頭水野嘉平治
同断半左衛門
 〃 代藤四郎
倉助倉治勘助
定吉亀吉五兵衛
金蔵伊助嘉蔵
倉治茂兵衛乙吉
春吉長十〆て二十人

[編集] △四番備

的井前同断にて四文字 袖印前同断にて四文字
○庄屋 吉村仙治、定使 新吉、的井持 才助、歩召使 源助、鉄砲。 組頭 吉村弥兵衛 鉄砲、同断 吉村与兵衛 鉄砲、五人組頭 佐治、五人組頭 仁兵衛。
籐吉 伝兵衛 伝蔵 亀威 桑吉 麦助 柳右衛門 儀右衛門 義左衛門 貞吉 周治 伊八 惣助 〆

[編集] △五番備

的井前同断五の字也
○郷組 可知与八 歩召使 春吉、郷組 可知豊吉 鉄砲、郷組代 与吉 鉄砲、 五人組 茂左衛門、五人組 栄助、同断 嘉助、作右衛門 勇吉 兵蔵 政吉 喜助 松次郎 兼助 周助 兼三郎 銀治郎 金之助 又四郎 秀五郎 兼太 〆て二十人


以上五組に支配いたし 尚又締り左の通りに定む

  • 浪士並びに悪党者 大勢小勢に寄らず入込み候節は、兼て相定めの通り板木鉄砲にて相図いたし、早速其の場所へ出合申すべく候。若し遅参の者之れ有りに於ては 急度申し付くべく事。
  • 小前一同、銘々竹槍手頃に拵え置き 所持致し、猶又さすが山刀等用意にて相図次第、其の場所へ出合い一手に相成指図受くべき事。
  • 郷組 猟師並びに用心筒所持の者、玉薬 丈夫の用意致し、相図次第早々出合い 其の支配、支配へ一手に指図受くべく相成り事。
  • 五人組は役人の手助け仕りお前差引つ心配致すべく致し、尤も脇差御免にて間 其の心得にて竹槍所持する事。万一役人病気之節は名代相勤めべく事。
  • 都て御触面の通り相心得申すべき事。此度仰出され候趣容易ならず義に付、村中監く相守り申すべく候。第一御上様へ御専慮報い奉るべく時節と相心得、万一 御大事にも及び候はゞ 何方迄も罷出一生惣命相働。(いささか)たりとも 御用に相立候保仕るべく候。
元治元甲子年七月

庄屋仙治
組頭助治
同断桂治
百姓代市右衛門
村内──

吉村弥吉氏 平成7年配布の「(よろず)記録 天保より 飯沼村」より。

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