蠶靈
提供:安岐郷誌
蠶靈
飯沼宮ノ根の子安寺左に
日本の
岩村藩内では江戸時代の後期に地場産業の発展をめざして周辺地域に養蚕を推奨している (文政の岩村改革)。養蚕は農家にとっても貴重な現金収入源であったため阿木や飯沼でも広まっていった。この石碑は豊蚕の祈願と蚕の供養のため祀られたものであろう。
しかし日本の輸出産業の花形であった生糸の価格も第一次大戦後の大正初期の不況を機に暴落。阿木や飯沼では昭和30年代までよく見られた養蚕も次第に衰退し、平成に入る頃にはほとんど見られなくなった[要調査]。