阿弥陀堂 (見沢)

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[[File:mizawa amidado02.jpg|thumb|見沢の阿弥陀堂]]
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'''見沢の阿弥陀堂'''は[[見沢八幡神社]]境内の東側にあるお堂。何時の頃からかは不明だが江戸時代初期には現在の場所に祀られていた。また本尊の阿弥陀如来像は平安時代のものである。
  
 
== 沿革 ==
 
== 沿革 ==

2009年8月26日 (水) 20:52時点における最新版

神社仏閣
180px
見沢阿弥陀堂
住所岐阜県中津川市阿木見沢字大門前
位置[MAP]N35:24:01.46/E137:27:38.99
本尊阿弥陀如来

見沢の阿弥陀堂見沢八幡神社境内の東側にあるお堂。何時の頃からかは不明だが江戸時代初期には現在の場所に祀られていた。また本尊の阿弥陀如来像は平安時代のものである。

[編集] 沿革

過去帳によれば萬嶽寺三世海印誓和和尚とあり元禄の頃 (1688-1703年/江戸初期) に建立されている。また境内から出土した石塔に延宝 (1673-1681年/江戸初期) と彫られている事からもこの時代には阿弥陀信仰の場であったことが窺われる。

江戸時代後期、八幡神社の屋根を補修するため阿弥陀堂に宿を借りていた職人の不始末により失火を出し、本尊の阿弥陀如来像が現在のような姿になったと言われている。

1949年 (昭和24年)、見沢倶楽部の新築と同時に老朽化していたお堂の縮小修理を行った。それ以前のお堂は囲炉裏もあり見沢の集会所として使用されていた。

現在の阿弥陀堂は 1990年 (平成2年) 7月に見沢組二十戸で資金を集め着工、12月に竣工したものである。この改修に併せて本尊の由来を特定するため中津川市教育委員会に調査を依頼し、奈良教育大学の赤井達郎教授 (中津川出身) によって鑑定が行われた。

  • 本体は台座に比べて簡素な造りである。衣紋などから康和年間 (1099-1103年/平安) のものと推定される。
  • 寄せ木の造りが細かく特徴的であり奈良で造られたものと推定される。
  • 台座は金箔が厚く本体と比べて新しい造りであるため、後世に付けられたものと見られる。
  • 鎮座時期は不明である。その昔、旧道の道端に祀られた布施観音の一つと見られる。

[編集] 写真集

[編集] 参考文献

  • ふるさとの観音堂・弘法堂・念仏堂・集 阿木地区, 鈴木順一, 1997年5月 (阿木コミュニティセンター)
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