阿木の地質

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== 基盤岩の形成 ==
 
== 基盤岩の形成 ==
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阿木の川で見られる石のほとんどは花崗岩である。
  
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およそ 1 億年前、白亜紀の阿木は中央構造線付近の地殻変動の影響で大規模な火山地帯であった。しかし白亜紀後期に入るとそのマグマがゆっくりと固まって行き、現在の阿木全体の基盤岩である{{ruby|'''花崗岩'''|かこうがん}}が形成される。地表から近いにも関わらず花崗岩ができあがった事や、またその分布の広さからかなり大規模な火山帯だったと考えられている。
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09/02/21 飯沼川。阿木の川辺は花崗岩ばかり。
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およそ 1 億年前、白亜紀の阿木は中央構造線付近の地殻変動の影響で大きな火山地帯であった。
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しかし白亜紀後期に入るとそのマグマがゆっくりと固まって行き、現在の阿木全体の基盤岩である
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{{ruby|'''花崗岩'''|かこうがん}}が形成される。
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地表から近いにも関わらず花崗岩ができあがった事や、その分布の広さからかなり大規模な火山帯だったと考えられている。
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花崗岩は阿木川や寺川へ行けばいくらでも見ることができる。
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== 瑞浪層群の形成 ==
 
== 瑞浪層群の形成 ==

2009年6月4日 (木) 12:41時点における版

阿木の地質分布

阿木の地層は火成岩である花崗岩類を基盤として、瑞浪層群、瀬戸層群、第四紀層などの堆積岩によって形成されている。地層の違いはおおざっぱに言えば:

  • 花崗岩類 → 花崗岩の岩ばかり
  • 瑞浪層群 → 泥岩や砂岩 (サバ)
  • 瀬戸層群 → 風化した花崗岩
  • 第四紀層 → 土砂によって堆積した花崗岩の砂利

目次

基盤岩の形成

[MAP]花崗岩

阿木の川で見られる石のほとんどは花崗岩である。

およそ 1 億年前、白亜紀の阿木は中央構造線付近の地殻変動の影響で大規模な火山地帯であった。しかし白亜紀後期に入るとそのマグマがゆっくりと固まって行き、現在の阿木全体の基盤岩である花崗岩(かこうがん)が形成される。地表から近いにも関わらず花崗岩ができあがった事や、またその分布の広さからかなり大規模な火山帯だったと考えられている。

瑞浪層群の形成

約 2000 万年前、新第三紀の中新世に入ると地盤の沈降運動によって可児、瑞浪、岩村を中心とした 3 つの淡水湖が現れる。

<img alt="瑞浪層群を作った淡水湖" src="tansuiko.png"/>

この時、岩村の淡水湖に堆積した砂や泥は阿木塁層(あぎるいそう)と 呼ばれる堆積層を作り上げる。基盤岩でできた武並山は湖面から顔を出し、現在の阿木川の位置には既にこの頃から 川が流れていたと言われている。この阿木塁層からは主に植物の化石が出土する。


<img alt="瑞浪層群の阿木岩村付近の堆積" src="taisekiso.png" style="margin-bottom:0px;"/>
岩村盆地の瑞浪層群の地層

淡水湖は約 1800 万年前に陸に戻るが、再び湖となり、今度は北上してきた海と繋がる。この時、最初阿木は淡水と海水の混じり合う 汽水域だったが、時が経つにつれ海面上昇などの影響で数百メートルの海底となった。海性の砂岩から始まるこの層は 遠山塁層(とおやまるいそう)と呼ばれ 貝類などの化石が出土する。また後に八屋砥鍾乳洞となる石灰岩が堆積したのもこの時代である。


阿木塁層や遠山塁層は主に凝灰質の砂岩や泥岩 (シルト岩) で構成された厚さ数十〜数百m の瑞浪層群 (または岩村層群) と呼ばれる堆積層を作り上げた。この瑞浪層群は先の 3 つの淡水湖付近に 分布し、地殻変動などの影響をほとんど受けなかった事から中新世の化石が多く出土する事で有名である。 特に阿木塁層からは当時の気候を示す植物の良質な化石が発掘されている。

[photo/hachiyado01.jpg] [photo/hachiyado02.jpg]
[MAP]

09/02/21 八屋砥と久須田の境の山。

[MAP]

09/02/21 堆積層の露頭が見られる。

瑞浪層群は八屋砥、野田から飯沼、藤上付近に分布している。阿木ではこの堆積岩をサバと呼び、 化石を多く含む軟岩として里人にもよく知られている。サバという呼び名の発生や由来は定かではないが、 個人的には砂岩(さがん)が方言的に変化した のではないかと考えている。

サバは乾燥粘土やチョーク、クレヨンのように柔らかくナイフなどで削り出して容易に形を整える事ができる。 また水に付けながらコンクリートやアスファルトなどに擦りつけて整形する方法をサバ擦りという。 サバ擦りは刃物などを必要としないことから阿木では保育園から小学校低学年の彫刻遊びとしてよく行われている (砂岩の幼児語とも考えられる)。整形されたサバは仕上げの光沢を出すためにつばを付けながらタイル貼りの 水受けや壁などで擦っていたが、現今はもっと良い方法が考案されているかもしれない。

瀬戸層群の形成

約700万年前、中新世の後期に入ると断層の活動により瀬戸、多治見、土岐などに局地的に数百m〜数kmほどの小さな盆地が いくつも発生した。その盆地に水が溜まって風化した花崗岩が堆積したことで土岐口陶土層(ときぐちとうどそう)と 呼ばれる陶土層が形成された。この陶土は後に東濃・三河地方の窯業の材料となっている (ただし阿木に土岐口陶土層は見られない)。


鮮新世の 330 万年から 300 万年前になると恵那や中津川でも沈下運動で盆地が発生する。また同時期に中京地域にあった東海湖が 多治見付近まで拡大する。これらに堆積した砂礫は 土岐砂礫層(ときされきそう)と呼ばれている。


現在の阿木川ダムから花無山付近にかけてに土岐砂礫層が分布している。これは恵那・中津川を陥没させた断層運動に伴い この地域でも陥没地あるいは隆起による堰き止め湖が形成されたものと思われる。


土岐口陶土層、土岐砂礫層は瀬戸層群(せとそうぐん) (または東海層群) と呼ばれている。


第四紀層の形成

[photo/kakogan01.jpg]
[MAP]

09/02/21 阿曽田。水没と乾燥を繰り返して風化した花崗岩。

第四紀層とは地球上に人類が現れた約 200 万年前以降に形成された地層。阿木の基盤岩である花崗岩は 割れやすく風化して砂になりやすい性質であることから、主に山から流れ出した花崗岩の土砂が 山際や河川沿いに堆積して第四紀層を成している。 広岡扇状地をはじめ、第四紀層は大根木から飯沼にかけての山沿いと阿木川沿いに広く分布している。


第四紀層の下には瑞浪層群などが残っているかもしれないが知るには及ばない。

地層と温泉

近年、海からほど遠い東濃の地でありながら恵那峡の地下 1,500m から非常に濃い塩化物泉の温泉を掘り当てたという。 また現在は阿木川ダムに沈んでいるが、岩村府誌によれば江戸時代の飯羽間でも同じく塩辛い温泉 (冷泉) が 出ていたと書かれている。これらはどちらも瑞浪層群が形成された時代に海水の塩分が地底に貯えられたものと思われる。


府誌によればダム湖周辺の地表近くに古代の海水溜まりが存在している節がある。断層の近くであれば地下1,000m付近に しみこんだ地下水が地熱によって温められているだろう。 また地下に瑞浪層群があるなら恵那峡のような塩化物泉、植物性有機物を含んだ黒湯、あるいは石灰石の溶けたアルカリ泉が 出るかもしれない。


阿木で温泉候補として期待できる場所はどこか? ダム湖、あるいは断層から日帰、大根木、槇平といったところだろうか。


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