恵那地方の中でも阿木は特に地歌舞伎が盛んであった。1914年 (大正3年) に阿木座として建てられた阿木公会堂は当時の里座には珍しく回り舞台や花道なども用意された立派なものであった。二代目中村鴈治郎が来た時に、山の中のどこへ連れて行かれるかと思ったが、これほどすばらしい舞台は見たことがないと言ったという。
太平洋戦争時には軍事工場として使用されていた。遠くから徴用された工員は村内の民家で泊まっていた。
阿木公会堂は 1982年 (昭和57年) に取り壊され、現在この跡地は阿木保育園となっている。
09/02/21 この正面付近に公会堂があった。現在阿木保育園。