阿木公会堂

提供:安岐郷誌
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恵那地方の中でも阿木は特に地歌舞伎が盛んであった。1914年 (大正3年)阿木座として建てられた阿木公会堂(あぎこうかいどう)[MAP]は当時の里座には珍しく回り舞台や花道なども用意された立派なものであった。二代目中村鴈治郎が来た時に、山の中のどこへ連れて行かれるかと思ったが、これほどすばらしい舞台は見たことがないと言ったという。

太平洋戦争時には軍事工場として使用されていた。遠くから徴用された工員は村内の民家で泊まっていた。

阿木公会堂は 1982年 (昭和57年) に取り壊され、現在この跡地は阿木保育園となっている。

四方山話

  • 阿木座を建築するさいには、村内の銘木が使われた。銘木を集める際には、寄付するよう要請されそれを渋る持ち主に、使いの者が「いや、○○ともあろう方が断るとは思わなんだ。もう、承諾を得られる物と思い、若い者を切りにやらせてしまった」と言い放ち、無理矢理寄付させたなどの逸話も残る。
  • あまりに立派な柱であったため、東京から来た役者が「これは、はりぼてだろう?」と叩いて確かめたという。
  • 柱が立派すぎて邪魔と、細い鉄骨に置き換えられていたから、最初に銘木を寄付させられた者はたまらない。



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