阿木城跡

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見沢[[八幡神社]]の裏手にあたる{{ruby|城ヶ峰|じょうがね}}と呼ばれる里山に砦あるいは城館があったと言われており、現在でも非常に良い保存状態の遺構が残っている。
 
見沢[[八幡神社]]の裏手にあたる{{ruby|城ヶ峰|じょうがね}}と呼ばれる里山に砦あるいは城館があったと言われており、現在でも非常に良い保存状態の遺構が残っている。
  
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地理的に八屋砥、久須田、橋場を見渡すのに都合が良く、また野内方面を臨めば[[岩村街道]] (現在の県道407号) からの敵の侵入を警戒できる位置にある。峰の西に祀られている見沢[[八幡神社]]は阿木城の鎮守として岩村城の八幡神社から勧請されたものである。
 
地理的に八屋砥、久須田、橋場を見渡すのに都合が良く、また野内方面を臨めば[[岩村街道]] (現在の県道407号) からの敵の侵入を警戒できる位置にある。峰の西に祀られている見沢[[八幡神社]]は阿木城の鎮守として岩村城の八幡神社から勧請されたものである。

2009年6月27日 (土) 23:40時点における版

名所旧跡
阿木城跡
阿木城跡
所在地岐阜県中津川市阿木
位置N35:24:08.28, E137:27:45.36[MAP] (標高513m)
遺構曲輪、縦掘り
文化財市指定史跡
交通明知鉄道阿木駅徒歩20分

阿木城(あぎじょう)は戦国時代に築かれた山城の遺跡。遠山十八子城の一つとして記録に残っている。

目次

沿革

岩村城の子城として戦国期に築かれた要塞である。

武田勝頼の軍勢によって他の子城と共に落とされた。

構造

見沢八幡神社の裏手にあたる城ヶ峰(じょうがね)と呼ばれる里山に砦あるいは城館があったと言われており、現在でも非常に良い保存状態の遺構が残っている。

地理的に八屋砥、久須田、橋場を見渡すのに都合が良く、また野内方面を臨めば岩村街道 (現在の県道407号) からの敵の侵入を警戒できる位置にある。峰の西に祀られている見沢八幡神社は阿木城の鎮守として岩村城の八幡神社から勧請されたものである。

現在の城ヶ峰は藪や急勾配もなく登りやすい山道である。杉に囲まれた森の中に人工的に削られた造成がいくつも見られる。杉が植林されており視界は良くないが、この根のおかげで遺構が何百年も崩れず良い状態を保っているのであろう。峰の頂上は広く平らな曲輪(くるわ)になっており千畳敷と呼ばれている。山頂までにいくつかの曲輪や縦掘りなどの人工的造形が見られる。

写真集

四方山話

  • 野田にも砦の跡があると聞くが詳細不明[要調査]

参照

外部リンク

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