阿木村

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== 歴史 ==
 
== 歴史 ==
阿木村は奈良時代からの[[恵奈郡]][[安岐郷]]を引き継いだものであるが、いつ頃に成立したのかははっきりしていない。郷内[[遠山荘]]の[[w:惣村|惣村]]であった阿木村が郷里制の廃止と共に村として残ったものと考えられる。
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=== 中世 ===
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阿木村の成立は不明だが、[[恵奈郡]][[安岐郷]]の[[w:惣村|惣村]]が郷制の廃止後に残ったものと考えられる。
  
平安時代の安岐郷は遠山荘に属して居た。ただし当時の[[w:荘園|荘園]]制の形態では天皇や公家、地方豪族、寺社などが開拓して得た小規模な荘園も細かく散在していたと思われる。鎌倉時代となり武家社会に入ると遠山荘の地頭受けである[[遠山氏]]の支配下となって小規模な荘園も次第にとりまとめられていった。
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平安・室町時代には全国に勢力を拡大していた[[w:天台宗|天台宗]][[長楽寺]]、[[龍泉寺]]を建立した (この頃の天台寺院は[[w:延暦寺|延暦寺]]を中心とした学府であり、また僧兵を備えた勢力拠点の色合いが濃かった)。
  
戦国時代を経て {{年号|1601}} には[[松平家乗]]が入領し岩村藩の成立とともに阿木村及び飯沼村は岩村藩属となった。この頃から藩主導で各地の開拓が行われるようになり、枝村として広岡、両伝寺、福岡 (黒田塞之神) の[[w:新田|新田]]村が出来た<ref>新しく開拓した新田の年貢を軽減あるいは免除し、古くからの古田は多く取る事で新田開拓が推奨された。</ref>。
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鎌倉時代には[[遠山荘]]に属しており鎌倉幕府から地頭請を任じられた[[遠山氏]]の支配下となった。戦国から安土桃山時代には東美濃地方が武田勢と織田勢の最前線と化し[[岩村城の戦い]]では阿木村も戦場となった。
  
近代に入ると明治の大合併により {{年号|1897}} 4月1日に[[飯沼村]]とその枝村である[[大野村]]が阿木村へ編入された。この頃に現在の[[阿木地域振興センター]]近くに[[阿木村役場]]が建てられた。
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=== 近世 ===
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{{年号|1601}} に[[松平家乗]]が入領すると阿木村及び飯沼村は岩村藩に属した。この頃から藩主導で各地の開拓が行われるようになり、阿木村の枝村として[[広岡]] {{note|(元は旧大野村の新田)}}、両伝寺、福岡 {{note|(現在の黒田塞之神)}} の[[w:新田|新田]]村が出来た<ref>新しく開拓した新田の年貢を軽減あるいは免除し、古くからの古田は年貢を多く取っていた。</ref><ref>当時は25戸で一村できたと言われている。村の中心には神社が置かれた。</ref>。
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=== 近代 ===
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[[File:Agi village office (1914).jpg|thumb|[[阿木村役場]] (大正)]]
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近代に入ると明治の大合併により {{年号|1897}} 4月1日に[[飯沼村]]とその枝村である[[大野村]]が阿木村へ編入された。またこの頃に現在の[[阿木地域振興センター]]近くに[[阿木村役場]]が建てられた。
  
 
{{年号|1958}} 11月1日に阿木村は岐阜県中津川市に編入された。旧阿木村、飯沼村の村域はそれぞれ中津川市阿木、中津川市飯沼という大字として残る事になった。
 
{{年号|1958}} 11月1日に阿木村は岐阜県中津川市に編入された。旧阿木村、飯沼村の村域はそれぞれ中津川市阿木、中津川市飯沼という大字として残る事になった。
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== 組・枝村 ==
 
== 組・枝村 ==
 
* 阿木村
 
* 阿木村
::寺領・藤上・野内・見沢・宮田・野田・青野・八屋砥・久須田・黒田・田中・山野田・真原・大根木
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:* 青野村
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:* 福岡新田
 
:* 福岡新田
 
:* [[広岡新田]]
 
:* [[広岡新田]]
 
:* 両伝寺新田
 
:* 両伝寺新田
:* 川上村
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:* [[川上村]]
 
* [[飯沼村]] {{note|(明治30年編入)}}
 
* [[飯沼村]] {{note|(明治30年編入)}}
:* 大野村
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* [[巖邑府誌/安岐|巖邑府誌]]では両伝寺には元々天皇直轄領があり天神領と呼ばれていたものが鈍ったと推測している (両伝寺には[[天神神社 (両伝寺)|天神神社]]がある)。阿木で他に該当しそうなのは同じく[[天神神社 (宮田)|天神神社]]をもつ宮田である。なお天神とは菅原道真ではなく[[w:天津神|天津神]] (天皇の祖) を意味している。
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== 関連項目 ==
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* [[安岐郷]]
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* [[恵那郡]]
  
 
[[Category:阿木|あきむら]]
 
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2010年9月8日 (水) 07:38時点における最新版

阿木村(あぎむら)は中世から昭和にかけて存在した恵那郡の村。村紋は笹竜胆(ささりんどう)。廃止時の村域は現在の岐阜県中津川市阿木と中津川市飯沼に相当する。

目次

[編集] 歴史

[編集] 中世

阿木村の成立は不明だが、恵奈郡安岐郷惣村が郷制の廃止後に残ったものと考えられる。

平安・室町時代には全国に勢力を拡大していた天台宗長楽寺龍泉寺を建立した (この頃の天台寺院は延暦寺を中心とした学府であり、また僧兵を備えた勢力拠点の色合いが濃かった)。

鎌倉時代には遠山荘に属しており鎌倉幕府から地頭請を任じられた遠山氏の支配下となった。戦国から安土桃山時代には東美濃地方が武田勢と織田勢の最前線と化し岩村城の戦いでは阿木村も戦場となった。

[編集] 近世

1601年 (慶長6年/安土桃山)松平家乗が入領すると阿木村及び飯沼村は岩村藩に属した。この頃から藩主導で各地の開拓が行われるようになり、阿木村の枝村として広岡 (元は旧大野村の新田)、両伝寺、福岡 (現在の黒田塞之神)新田村が出来た[1][2]

[編集] 近代

近代に入ると明治の大合併により 1897年 (明治30年) 4月1日に飯沼村とその枝村である大野村が阿木村へ編入された。またこの頃に現在の阿木地域振興センター近くに阿木村役場が建てられた。

1958年 (昭和33年) 11月1日に阿木村は岐阜県中津川市に編入された。旧阿木村、飯沼村の村域はそれぞれ中津川市阿木、中津川市飯沼という大字として残る事になった。

  1. ^ 新しく開拓した新田の年貢を軽減あるいは免除し、古くからの古田は年貢を多く取っていた。
  2. ^ 当時は25戸で一村できたと言われている。村の中心には神社が置かれた。

[編集] 組・枝村

  • 阿木村
寺領藤上野内見沢宮田野田八屋砥久須田黒田田中山野田真原大根木

[編集] 話題

  • 巖邑府誌では両伝寺には元々天皇直轄領があり天神領と呼ばれていたものが鈍ったと推測している (両伝寺には天神神社がある)。阿木で他に該当しそうなのは同じく天神神社をもつ宮田である。なお天神とは菅原道真ではなく天津神 (天皇の祖) を意味している。

[編集] 関連項目

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