阿木村
提供:安岐郷誌
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2010年2月22日 (月) 20:26時点における版
歴史
阿木村は奈良時代からの恵奈郡安岐郷を引き継いだものであるが、いつ頃に成立したのかははっきりしていない。郷内遠山荘に存在した阿木村という惣村が郷制の廃止後も村として残ったものと考えられる。
平安時代の阿木村 (安岐郷) は遠山荘に属して居た。ただし当時の荘園制の形態では天皇や公家、地方豪族、寺社などが開拓して得た小規模な荘園も細かく散在していたと思われる。鎌倉時代となり武家社会に入ると遠山荘の地頭受けである遠山氏の支配下となって小規模な荘園は次第にとりまとめられていった。
戦国時代を経て 1601年 (慶長6年/安土桃山) には松平家乗が入領し岩村藩が成立した。同時に阿木村及び飯沼村は岩村藩属となった。この頃から藩主導で各地の開拓が行われるようになり、阿木村の枝村として広岡 (元は旧大野村の新田)、両伝寺、福岡 (現在の黒田塞之神) の新田村が出来た[1][2]。
近代に入ると明治の大合併により 1897年 (明治30年) 4月1日に飯沼村とその枝村である大野村が阿木村へ編入された。またこの頃に現在の阿木地域振興センター近くに阿木村役場が建てられた。
1958年 (昭和33年) 11月1日に阿木村は岐阜県中津川市に編入された。旧阿木村、飯沼村の村域はそれぞれ中津川市阿木、中津川市飯沼という大字として残る事になった。
組・枝村
- 阿木村
- 飯沼村 (明治30年編入)