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− | == 文献散策 ==
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− | === 巖邑府誌 ===
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− | {{年号|1751}} に編纂された巖邑府誌の[[巖邑府誌/安岐#風窟|'''風窟''']]の項には以下のように記されている。
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− | ○真原の山に常に風が吹き出ている{{ruby|風窟|かざあな}}がある。里人は暴風による農作物の被害を免れると云い、夏になると祭りを執り行う。またその風窟に石を投げる者が居ればたちまち暴風が起きその者も難に遭うと云う。多分に愚かな田舎者の言であろう。
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− | 最後の一言が余計だが、江戸時代中期には現在と同じ言い伝えがあり風鎮祭のような儀式も行われていたことが窺える。神や神社といった言葉が出て来ないのは、当時はまだ神社の様式になっておらず霊場のようなものだったのかも知れない。
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− | === 日本歴史地名大系 ===
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− | 日本歴史地名大系<ref><strong>日本歴史地名大系 第二一巻 岐阜の地名</strong>, <i>所三男</i>, 1993年(平成5年), 平凡社</ref>には以下のように記述されている。
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− | <blockquote class="quote">
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− | {{ruby|風神|かざかみ}}神社は社蔵の風神神社由緒には、元和四年(一六一八)に再建とある。旧本尊の風天子像は長楽寺に安置され、阿木風神祭礼之図(阿木公民館蔵)には風神宮は長楽寺の奥院として描かれている。夏風三郎の祭日として二百十日・二百二十日の無事を祈願する。<!-- 現在は八月三〇日に前夜祭、三十一日に大祭を行う。-->
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− | {{年号|1616}} 再建の記録。
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− | [[w:風天|風天]]は仏教における風の護法善神。風神神社と長楽寺が深く関係しており仏教や修験的な立場から発生した事が窺える。何時の時代に別れたものかは分からないが、少なくとも明治の[[w:神仏分離|神仏分離]]には神社となっていただろう。
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− | 夏風三郎が何を示すかは不明。
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− | === 郷土資料辞典 ===
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− | 郷土資料辞典<ref><strong>ふるさとの文化遺産 郷土資料辞典㉑ 岐阜県</strong>, <i>大迫忍(発)/齋藤建夫(編)</i>, 1997年(平成9年), 株式会社人文社</ref>の''風神神社''の項には以下のように記述されている。
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− | <blockquote class="quote">
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− | <!--
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− | <div style="border-bottom:solid 1px gray;">{{ruby|'''風神'''|ふうじん}}'''神社'''</div>
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− | <div class="smaller">市内{{ruby|阿木|あぎ}} N35°22'45" E137°30'14"</div>
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− | -->… 崇神天皇の時、凶作がつづいたので、風の神に祈り、大和の竜田神社から勧請して創建したと伝えられる古社である。…<!-- このあたりは阿木川の景色がとくにすばらしく、ハイカーたちの訪れの多いところである。--><br/>[祭神] 天御柱命・国御柱命
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− | {{ruby|[[w:崇神天皇|崇神天皇]]|すじんてんのう}}は記紀に記されている第十代天皇。この代では実在したかどうかすら危ういが、記紀によれば在位は紀元前 97〜29 年 (弥生時代後期)、実在説によれば 3〜4 世紀 (古墳時代前期) との事である。
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− | 竜田神社から勧請されたとしているが、この著者が龍田神社と龍田大社を正しく使い分けているのか疑わしい。[[w:龍田大社|龍田大社]]は奈良県生駒に位置する風の神を祀る神社で、斑鳩の龍田神社の本社でもある。
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− | 調べてみると龍田大社も崇神天皇の時代に凶作が元で創建したという由来を持っている。このような由来をはじめとして風鎮祭の様式などに類似点が見られることから、いつの時代かに龍田大社から勧請したか、あるいはその様式作法を持ち込んだものだろうと言われている。
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− | <references/>
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| == 伝承と四方山話 == | | == 伝承と四方山話 == |
2009年6月1日 (月) 20:44時点における版
神社仏閣 |
風神神社 |
所在地 | 岐阜県中津川市阿木字川入5740-1 |
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位置 | N35:22:57.00, E137:30:04.43 (標高740m) |
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祭神 | 天御柱命, 国御柱命 |
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例祭 | 毎年8月28日〜9月1日 (8月31日大祭) |
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交通 | 国道363号から真原農免道、燈籠場より林道を上る |
風神神社は阿木川の上流に位置する神社。天候や災害を司る風の神と風窟 を祀っている。
立春から数えて二百十日は台風が来やすい日と言われ、古くから農林業を営む人々の厄日とされている。現在の風神神社ではおよそ二百十日の前日である毎年8月31日に風鎮祭が行われている。
沿革
風窟が祀られた時期は定かでないが、阿木川上流の山々が古くは行事岳と呼ばれ長楽寺修行僧の修験の場とされていた事から、長楽寺の隆盛期である平安から戦国の頃には霊場と祀られていたものと考えられる。
1959年 (昭和34年) 9月26日、伊勢湾台風の時に風神神社を参拝した人々の家だけが被災を免れたという事から霊験が広まり、近年でも大祭の折には愛知県などの遠方から信仰者が訪れている。
昭和50年代に風神神社の由緒や例祭様式が奈良龍田大社のものに類似していることが分かり、以来毎年の例祭時には龍田大社から宮司さんを招いている。
1983年 (昭和58年) の 9.28災害で神社横の沢が氾濫し社殿が倒壊。また参道の一部も崩落して通行不能となった。現在の社殿はその後に再建されたものである。
1618年 (元和4年/江戸初期) |
風神神社再建。
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1983年 (昭和58年) |
9月28日、台風10号により社殿倒壊。
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風景
06/08/14 風神神社。
08/08/24 拝殿。正面に見える祠の岩に風窟がある。
風窟
風窟 (風穴) とは拝殿裏手にあたる大岩の隙間である。この風窟からは一年中風が吹き出ており、ここに風の神が住んでいると言われている。大岩の上に置かれている小さな祠は拝殿から見た本殿にあたる。その下の風窟が御神体という自然造形的な特徴を生かした造りとなっている。
風窟に物を投げ込むとたちまち暴風雨に見舞われると言われている。風窟の周辺は瑞垣 (柵) で囲われており近づくことは出来ない。
燈籠場と参道
燈籠場は真原農免道から風神神社へ向かう参道の入り口を示す場所。ここからおよそ 2.5km の林道が風神神社への参道となる。風神神社の例祭時には燈篭場の石柱に幟が立つ。
風神神社の参道沿いには三十三観音に倣い三十三体の観音石像が鎮座している。しかし土砂崩れや路肩の崩壊によって既に何体か紛失しているように見受けられる[要調査]。観音像がいつ頃から置かれるようになったものか分からないが、現在安置されている観音様はどれも文字や表情がはっきりしており、大正〜昭和時代の比較的新しい石像と思われる。
由緒書き
書きかけのページ |
このページは書きかけの内容が含まれています。この内容だけでは事柄を理解するのにまだ十分ではないかもしれません。 |
境内に建てられている石碑の裏側には以下のように掘られている。
伝承と四方山話
- 古くは長楽寺から現在のマス池の橋付近に出る山道を参道としていたが、真原からの林道が整備された事により使われなくなったと云う。
- 燈籠場の古い観音石像は現在の石像より前に置かれていたものだろうか。
参照
外部リンク