風神神社

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神社仏閣
風神神社
風神神社
所在地岐阜県中津川市阿木字川入5740-1
位置N35:22:57.26, E137:30:04.60[MAP] (標高740m)
祭神天御柱命(アメノミハシラノミコト), 国御柱命(クニノミハシラノミコト)
例祭毎年8月28日〜9月1日 (8月31日大祭)
交通国道363号から真原農免道、燈籠場より林道を上る

風神神社(かざがみじんじゃ)阿木川の上流に位置する神社。天候や災害を司る風の神と風窟(かざあな) を祀っている。

立春から数えて二百十日(にひゃくとおか)は台風が来やすい日と言われ、古くから農林業を営む人々の厄日とされている。現在の風神神社ではおよそ二百十日の前日である毎年8月31日に風鎮祭が行われている。

目次

沿革

風窟が祀られた時期は定かでない。阿木川上流の山々が古くは行事岳と呼ばれ長楽寺龍泉寺修行僧の修験の場とされていた事から、長楽寺の隆盛期である平安から戦国の頃には霊場と祀られていたものと考えられる。

1959年 (昭和34年) 9月26日、伊勢湾台風の時に風神神社を参拝した人々の家だけが被災を免れたという事から霊験が広まり、近年でも大祭の折には愛知県などの遠方から信仰者が訪れている。

昭和50年代に風神神社の由緒や例祭様式が奈良龍田大社に由来していることが分かり、以来毎年の例祭時には龍田大社から宮司さんを招いている。

1983年 (昭和58年)9.28災害で神社横の沢が氾濫し社殿が倒壊。また参道の一部も崩落して通行不能となった。現在の社殿はその後に再建されたものである。

1618年 (元和4年/江戸初期) 風神神社再建。
1983年 (昭和58年) 9月28日、台風10号により社殿倒壊。

拝殿

現在の拝殿は 1983年 (昭和58年) 頃に再建されたものである。裏手の大岩の上に本殿の祠が置かれている。

風窟

風窟 (風穴) とは拝殿裏手の本殿が置かれている大岩の隙間を指す。注連縄が張られ戸が取り付けられている。この風窟からは一年中風が吹き出ており、ここに風の神が住んでいると言われている。

昔からこの風窟に物を投げ込むとたちまち暴風雨に見舞われると言われている。また近代までは女人禁制であり女性は近づくことすら許されなかった。例祭時には悪戯者や女人が近寄らぬよう一晩中の見張りが付いていたと云われている。

近代になって女人禁制は解けたが、それでも風窟の周辺は瑞垣(みずがき)に囲われており近づくことが出来ない。

狛犬

現在の狛犬は 1980年 (昭和55年) に建てられたもの。寄付者芳名が取り付けられている。

拝殿表

拝殿裏

風神神社の裏手には風窟があり周りは杉に囲まれている。道はないが阿木川に降りることが出来る。トイレの近くは崩落しているので注意。これは9.28災害で崩落したものである。

由緒書き

境内に建てられている石碑の裏側には以下のように掘られている。

風神神社
本殿造營遷宮記念

御鎮座中津川市阿木字川入
御祭神天御柱命・國御柱命
別命 級長都彦神・級長都姫神
御神徳風難防護・延命長壽
例大祭八月三十一日
二百十日祭九月十日

御祭神は宇宙間の大気を主宰し給ふ神様で 元和四年六月 大和國龍田大社より御分霊を勧請す 江戸時代より風災防除の守護神として 美濃、尾張、三河、信濃、遠州の各地に 特別な崇敬と信仰を集め来れり 戦後参拝者の中絶ありしも 伊勢湾台風以来再び往時を凌ぐ隆盛を見るに至りしは 霊験あらたかなる御神徳のしからしむる所なり

昭和四十五年以来駐車場の新設、籠堂の移築、玉垣、狛犬、石燈籠の建立、拝殿御屋根葺替、御神札頒布所の改築等御社頭の整備擴張を致し 昭和五十九年八月 七十年の歳月を経て 御本堂の再建造営を竣工し 遷宮大祭を齊行し奉る

氏子崇敬者各位の御奉賛を心から深謝申し上げて記念の碑を建つ

昭和五十九年八月二十六日

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資料撮影 09/06/14 [1]

1618年 (元和4年/江戸初期) 6月に奈良生駒の龍田大社より天御柱命 (級長津彦命(シナツヒコノミコト)/男神)、国御柱命 (級長都姫命(シナツヒメノミコト)/女神) 勧請と記されている。

四方山話

  • 古くは長楽寺から現在のマス池の橋付近に出る山道を参道としていたが、真原からの林道が整備された事により使われなくなった。

参照

外部リンク

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