飯沼村境図

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{{ruby|'''飯沼村境図'''|いいぬまそんきょうず}}は享保年間 {{note|(1716-1735年/江戸中期)}} に描かれたと伝わる古地図<ref>より高精度な画像を求めています。またはこの地図の所在をご存じの方はノートに記してください。</ref>。阿木村との持ち山の境を示すために描かれた物である。
 
{{ruby|'''飯沼村境図'''|いいぬまそんきょうず}}は享保年間 {{note|(1716-1735年/江戸中期)}} に描かれたと伝わる古地図<ref>より高精度な画像を求めています。またはこの地図の所在をご存じの方はノートに記してください。</ref>。阿木村との持ち山の境を示すために描かれた物である。
  
中央に描かれた[[天狗森山]]の後ろに阿木川が流れ、さらにその後ろに[[焼山]]系の山稜が控えている。この頃は天狗森山と[[橋ヶ谷山]]の間を通って[[槙平]]に出ていたのが分かる。また[[松沢川|松沢]]、[[狸沢|たのき沢]]、大野云々等いくつかの現存名が認識できる。
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中央に描かれた[[天狗森山]]の後ろに阿木川が流れ、さらにその後ろに[[焼山]]系の山稜が控えている。この頃は天狗森山と[[橋ヶ谷山]]の間を通って[[槙平]]に出ていたのが分かる。また[[松沢川|松沢]]、[[狸沢|たのき沢]]、大野云々等いくつかの現存地名が認識できる。
  
 
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2013年1月6日 (日) 02:03時点における最新版

飯沼村境図(いいぬまそんきょうず)は享保年間 (1716-1735年/江戸中期) に描かれたと伝わる古地図[1]。阿木村との持ち山の境を示すために描かれた物である。

中央に描かれた天狗森山の後ろに阿木川が流れ、さらにその後ろに焼山系の山稜が控えている。この頃は天狗森山と橋ヶ谷山の間を通って槙平に出ていたのが分かる。また松沢たのき沢、大野云々等いくつかの現存地名が認識できる。

  1. ^ より高精度な画像を求めています。またはこの地図の所在をご存じの方はノートに記してください。
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