三森神社
提供:安岐郷誌
写真集
由緒書き
三森神社大円寺神社由緒書によると「寛永十七年 (一六四〇) 諸国に流行病がひろがり、その苦難を払うために三森神社を信奉し霊験があった。」とある。その後 (一六四四) 福泉坊が垂松瀑に不動堂を祠つたこともあり、里人の信仰を篤くした。
巖邑府誌 (一七五一) は誌す。「……山上の神祠に神鎌が納めてある。伝えによると、その鎌を垂松瀑に投げて雨乞いをすると恵みの雨があるという。またその鎌は天照大神が恵那山で御産された折に臍の緒を切ったもので、三森神社の神祠に納めたものである。」
古い棟札の文政六年 (一八二三) には 大円寺村で、「三森一ノ宮」として再建、棟梁は御作事方であり藩との係わりが窺がえる。
例祭 四月十七日(昭和五十九年から例祭に近い日曜日)明治二十三年 (一八九〇) には前年八月の暴風で全壊した社殿を再建遷宮。 富田村一円が氏子となっている。
○社殿は平成二年の再建で恰も百年目のことである。
岩村町観光協会
岩村町富田区氏子
関連項目
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